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コラム

編集部
AFTER SUGIHARA SETSUZO KOTSUJI's AID TO JEWISH REFUGEES 命のバトンをつなぐ人々Part 7

2019-06-15


講演をする山田純大氏(左)。写真は、小辻の次女・メリーさん(右)と三女・ジュリーさん(左)。ジュリーさんは2年前に82歳で他界した


 寛容博物館で3月27日に開催された「After Sugihara Setsuzo Kotsuji's Aid to Jewish Refugees」(在ロサンゼルス総領事館、サイモン・ウィーゼンタール・センター、日米文化会館が共催)にて、俳優で『命のビザを繋いだ男ー小辻節三とユダヤ難民』の著者、山田純大氏とノートルダム清心女子大学教授の広瀬佳司氏が行った講演を振り返りながら、小辻の功績を紹介するパート7。

 ラビ・マービン・トケイヤーから、小辻がどれほど危険な状況の中で、日本に避難してきた約6000人のユダヤ人を救ったのかを聞いた山田氏。そして、小辻をよく知る人物をラビ・トケイヤーから紹介してもらった。



 小辻節三と交流のあったラビ・マービン・トケイヤーに、ニューヨークまで会いに行った山田純大氏は、小辻の二人の娘さんが日本で暮らしていることを知った。

 ラビ・トケイヤーがくれた電話番号に、すぐに電話をするか、日本へ帰国するまで待つか、滞在するホテルで考えたが、小辻について知りたいという情熱に動かされ、小辻の娘さんに国際電話をかけた。

 電話が通じ、「まず自己紹介をして、お父さんの小辻節三氏の自叙伝を読んで感銘を受けたことを話しました。そしてお父さんについて、さらに知りたいので、近々、お会いしていただけないかとお聞きしました」と、初めて小辻の娘さんと話した時の様子について語った。

 小辻をよく知る家族から話を聞けるチャンスに山田氏は期待で胸を膨らせたことだろう。しかし残念ながら「父についてお話したくありません」と丁重に断られてしまった。さらに、電話の向こうの娘さんは早く電話を切りたがっているようで、それを感じた山田氏は「またご連絡をさせていただいてもよろしいでしょうか」とだけ言って電話を切った。

 小辻の本当の姿を知るのにもう一歩だったのに…と、山田氏は落胆したという。「早急だったのかもしれない…」と自分を慰め、帰国後に再度、娘さんに連絡することにした。

 それにしても、なぜ小辻の娘さんたちは、“スーパーヒーロー”の父親について語りたくなかったのだろうか?この時、山田氏は、小辻の家族が体験してきたことを、まだ知らなかった。

 日本に帰国して2ヶ月が経った頃、人を介して、やっと小辻の次女・メリー(暎子)さんと三女・ジュリー(百合子)さんに会えるチャンスが巡ってきた。

 山田氏の目の前に座る二人は打ち解ける様子もなく、居心地が悪いようだった。初対面の人から家族にまつわる質問をいろいろ聞かれ、二人が戸惑うのも無理からぬことだったろうと、容易に想像できた。

 一方、山田氏にとっては、小辻の本当の姿を知るのに千載一遇のチャンスであったろうから、必死だったに違いない。

 山田氏は、小辻の自叙伝『From Tokyo to Jerusalem(東京からエルサレムへ)』の中で感銘を受けた箇所を、一つ一つ、娘さんたちに伝えた。すると、それまで硬い表情だった二人が少し微笑んで、「とてもよく読んでくださったのですね」と言ってくれたそうだ。

 「この人は父を知って、どうするのかしら?」という疑問を、二人の表情から読み取った山田氏は「正直言って、これで何をするのかは分かりませんが、これで何かを作ることは、お約束します」と伝えた。

 別れ際に娘さんの言った言葉が、その後の山田氏の人生に大きな影響を与えた。

 「父は亡くなる少し前に、『100年以内に、私を理解する人が現れるだろう』と言いました」

 帰宅途中、ニューヨークでのラビ・トケイヤーとの会話を山田氏は思い出していた。

 「日本で小辻について知っている人は、まだほとんどいません」と話した山田氏に、ラビ・トケイヤーは「It is time to be a writer」と言った。

 講演会場の前方スクリーンに一枚の写真が映し出された。メリーさん(右)とジュリーさん(左)、山田氏の姿だった。幾度も会い、遂に3人は打ち解けたようだった。

 メリーさんとジュリーさんは独身で子供はいなかった。母親の美禰子さんが亡くなってからは二人きりで支え合い、生きてきたそうだ。

 「二人は他の人を信用していないようで、いつも人を避けているようでした」と山田氏は話した。

 父親の小辻は、戦前にはナチスの迫害から日本へ逃げてきた約6000人ものユダヤ人難民を支え、彼らが安住の地で生活できるようにとさまざまな面から支援した。戦中は、ナチスドイツと同盟を締結した日本政府に逆らい、ナチスが日本でキャンペーンをしていた反ユダヤ主義に真っ向から反対し、ユダヤ人についての講演会を日本全国で開催した。

 このことで小辻自身は憲兵隊に捕まり拷問にあった。一方、二人の娘さんは「裏切り者の娘」と呼ばれ、学校では生徒や教師からも差別された。その後も傷つく体験や苦労があったそうだ。

 「差別をされてきたのですから、二人が社会から遠ざかったのは自然なことです」と、山田氏は言った。
 それでは、メリーさんとジュリーさんは、父親の小辻をどう思っていたのだろうか?恨んだりしたのだろうか?

 小辻の人物像がより分かるエピソードが披露された。

 小辻は学者だったので家族はいつも貧しかった。娘さんたちが「なぜ、うちはお金がないの?」と聞くと、小辻は「お金はたくさんあるよ」と答えたそうだ。さらに二人が「どこにあるの?」と聞くと、小辻は「あそこだよ」と、空を指差したそうだ。

 「メリーさんとジュリーさんにお会いするたびに感じたのは、父親がしたことへの尊敬の念でした。小辻は娘さんにとっても“スーパーヒーロー”だったに違いありません」と山田氏は話した。

=Tomomi Kanemaru


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※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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