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コラム

編集部
AFTER SUGIHARA SETSUZO KOTSUJI's AID TO JEWISH REFUGEES 命のバトンをつなぐ人々Part 3-2

2019-05-04

 1940年9月下旬、福井県敦賀港には、杉原千畝が発行した通過ビザを持ったユダヤ人難民が続々と到着した。ビザの有効期限はたったの10日間。この間に、目的地を見つけ、日本を出国しなければならなかった。

 当時、ユダヤ人のコミュニティが神戸と長崎にあったため、多くのユダヤ人難民は支援を求めて敦賀から神戸に移動した。

 神戸のユダヤ人協会は、通過ビザの延長を日本政府に願い出たが却下され、他の支援策を模索していた。この時、神戸のユダヤ人協会から一民間人の小辻節三の元に連絡が入った。

 小辻はユダヤ人難民の窮状を聞き、早速動き出した。ビザの有効期限切れが迫っていたため、迷っている時間さえなかった。

 この時の小辻の様子を、広瀬氏は、ラビ・ピンハス・ヒルシプルグ著の回想録『The Vale of Tears(涙の谷)』から引用した。

 「小辻教授は、神戸ユダヤ人教会の求めで、ユダヤ人難民が持つ通過ビザの延長を日本の権力者にとりなしてくれました。通過ビザは本当に短期間で、たったの10日間でした。小辻教授は私たちの日本での滞在期間を延長するために、権力者へのコネを使ってくれたました」

 小辻が連絡した“権力者”とは一体誰だったのだろうか?

 当時の外務大臣で、かつて小辻を満州へ招聘した元南満州鉄道総裁の松岡に、公用ではなく“私用”で面会を申し入れたのだった。




小辻節三(出典「AFTER SUGIHARA SETSUZO KOTSUJI's AID TO JEWISH REFUGEES」のプログラム)

小辻節三氏(1899-1973)
1899年 京都府下鴨神社の神官の家に生まれる
1916年 明治学院大学神学部入学
1927-31年 パシフィック宗教大学から博士号取得
1931-33年 青山学院大学でヘブライ語教授
1938-39年 南満州鉄道総裁の松岡洋右からの依頼を受け、満州でユダヤ人問題顧問を務める
1940年 ユダヤ人難民が持つビザ通過ビザの延長に尽力。これは、松岡外務大臣から、通過ビザから移民ビザにステータスを変更すればビザ延長が可能になるだろうというアドバイスがきっかけとなった
1959年 60歳でエルサレムにてユダヤ教に改宗
1973年 10月31日に死亡



【世界情勢】
1932年 満州国建国
1934年 鮎川義介が論文「ドイツ系ユダヤ人五万人の満洲移住計画について」発表
1936年 日独防共協定締結
1937年 日独伊三国防共協定締結
1938年 オトポール事件
五相会議で「猶太人対策要綱」議決
1939年 ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦勃発
第3回極東ユダヤ人大会開催


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※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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