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特集記事



JANMへ行こう!! vol.52 - 日系三世が多くのチャンスを持てたのは一世二世のお陰


今月のガイド
ケン・ハマムラさん

日系三世。両親ともに帰米二世。仕事を引退後、JANMでボランティアを始める。現在はJANMのアーカイブにある古い写真の整理をする他に、理事会メンバーとしてJANMを全米に普及させる活動にも携わる。夫人のジョアンさんもJANMボランティアをしている。



―ハマムラさんは、現在はJANMに集められた古い写真の整理をするボランティアをされていますが、以前はJANMのスタッフだったそうでうすね。

最初は妻と一緒にJANMのボランティアをしていましたが、しばらくして当時のJANM・CEO、アイリーン・ヒラノ氏から新しく建設する「The National Center for the Preservation of Democracy」のプロジェクトディレクターをしてほしいと頼まれて、JANMスタッフになりました。このポジションは2年という期間限定だったので、なかなか人材が見つからなかったようです。私はヒラノ氏とは旧知の仲だったので、「もし誰もいない時は私がしますよ」と、ヒラノ氏には伝えていました。
 プロジェクトは、歴史建造物のJANM旧館(元西本願寺)の隣に新しい建物を増築するものでした。私の引退前の役職は人事取締役だったので、工事や建築は専門外でした。しかしJANMの運営委員会には、建築家のスティーブ・ライ氏、不動産工事専門のボブ・ボルク氏というエキスパートがいたので、彼らから学びながら、全ての工事がきちんと行われるようにコーディネートをしました。
 これは大きな挑戦でした。しかし、私は「これまでと違うことをするのを恐れるな」ということを体験から学んできたので、プロジェクトディレクターを引き受けました。働き始めたばかりの人と話す機会があると、自分自身の経験を話します。「手助けをしてくれる人がいるので、恐がることはありません。チャンスが巡ってきたのです。これまで自分がしていきたことと違うことを依頼されても、すぐに断らずに、よく考えてください。あなたのために何かが開くチャンスです」。


―ナショナルセンター建設のプロジェクトで思い出深いエピソードはありますか。

良かったことの一つは、故ダニエル・イノウエ上院議員と知り合えたことです。上院議員はこのセンターの建設を強く望まれていました。プロジェクトが始まると私は上院議員にレポートを送りました。上院議員はやることがたくさんあるだろうから長いレポートを読む時間はないだろうと思い、1ページにまとめたものを送りました。すると翌日、なんとイノウエ上院議員自らが、私のレポートについて質問の電話をかけてきました。それで私は「しまった…もっと注意を払ってレポートを作成しなければ…」と思いました。これほどまでに上院議員は、このプロジェクト完成を待ち望んでいらっしゃいました。

娘と孫が継承する家族史

ハマムラ家とジョアン夫人の実家、ハラ家の家族史がまとめられたフォルダー。ハマムラさんがリサーチを重ねて作成した。今後は、日本や両親の出生地ハワイでもリサーチをすると話す。現在、ハマムラさんは、お嬢さんのご主人の家族史のリサーチもしている
―ハマムラさんは、家族史をまとめているそうですね。

引退してから家族の歴史に興味がでてきて、それ以来リサーチをしています。私たち三世は成長の課程で、両親とも家族についてあまり話しませんでしたからね。私は家族の歴史についてほとんど知らなかったので、リサーチで見つけた“かけら”を一つ一つまとめています。将来、娘と孫たちに少しでも渡せればいい、彼らがこの家族史を保存して継承してくれたらいいと思います。

―リサーチをして、発見はありましたか。

父方の祖父の渡航歴を見つけました。祖父は、1886年に広島県からハワイへ行き、サトウキビのプランテーションで働きました。3年間働いた後、幾度も日本とハワイを行き来していたようです。ハワイに行った日本人のなかには十分なお金を貯めることができず、一度も日本へ戻れなかった人もいたというのに、とても不思議です。渡航歴によると祖父の身分は、ある時は農民、ある時は商人でした。どんな商人だったのかは、分かりません。
 父はハワイ生まれですが2歳の時に日本へ行き、1926年、16歳で独りでハワイへ戻りました。そして1930年に農家のおじを頼り、カリフォルニア州に来ました。
 母の家族については、まだよく分かりません。母も父と同様に帰米二世で11歳でハワイに戻りました。英語が話せなかったので2年生のクラスに入れられたと母から聞きました。以前は何も思いませんでしたが、私も年を重ねて、両親はどんなに大変だっただろうと思うようになりました。
 私がリサーチしているもう一つのことは、祖父の時代の日本史です。「なぜ祖父は日本を発ってアメリカに来たのか?」最近、発見した興味深いことがあります。日本では長男が家督を継ぎますよね。あの当時、日本では男子は徴兵されて軍隊へ入りました。そこで、ある家族は長男をハワイへ送り徴兵を免れさせ、家は次男に継がせました。これで二人の男子を家族に残せます。私の祖父は兄弟姉妹がたくさんいたので、祖父が長男だった可能性もあるなと私は推測しています。


一世二世の道のりに感謝

―日系三世の世代で日系史に興味がある人は少ないと聞いたことがあるので、ハマムラさんのリサーチには驚きました。

私たち夫婦はJANMでボランティアをして歴史背景も学んだので、一世や二世への感謝の気持ちが増しました。差別や偏見で祖父母や両親が持てなかったさまざまなチャンスを、私たち三世は持つことができました。今日の私たちの人生は一世たちが築いてくれたことの上にあります。そして、このチャンスは娘や孫に引き継がれ、さらに前進するでしょう。
 日系史を調べて考えていくと、一世や二世が通った全ての道のりに感謝の気持ちが涌いてきます。 私は他の三世にも日系史をこのように見てもらいたいと願っています。二世たちがJANMを建設したので、次は三世がJANMを継続していく番です。


1930年に撮影されたハマムラ家写真。中央は祖母


写真・文・構成 Tomomi Kanemaru


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JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!

入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2015/01/24 掲載

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