JANMへ行こう!! vol.20 - 展示物にも書かれていないガイドの秘話が魅力
今月のガイド鈴木康之 さん
1972年に渡米。Kintetsu Enterprises Co. Of Americaの駐在員としてサンフランシスコ市の日本町再開発事業に携わる。2009年に退職するまで日米を行き来しながらリトル東京の発展にも携わる。現在はJANMのボランティアをはじめKintetsu Enterprises Co. Of America顧問、あさひ学園の理事を務める。
—鈴木さんは、日米でディベロッパーとして活躍してきました。その経歴がJANMでボランティアすることにつながっているそうですね。
「サンフランシスコ市(以下、SF市)の日本町を再開発した近鉄エンタープライズに務めていました。戦時中に日系人は強制収容所に送られて、戦後、町は荒れてしまった。それでSF市は再開発を決めて、1960年代には計画が始まりました。
再開発する場合、開発業者になるのはその土地でビジネスをしてる人が、まず第一。それと日系人の町だから日系人か日本人が優先。けれどSF市の日系社会はまだまだ戦争の痛手から立ち上がれなかったので、投資する余裕がありませんでした。そこで、ハワイの日系社会に話が行きました。だけどハワイの会社だけでは資金力が足りないのでSF市と姉妹都市の大阪市に話が来ました。
当時、近鉄の社長だった佐伯勇は大阪商工会議所の会頭でした。戦後、ガリオア資金、エロア資金は空襲で潰された日本産業を復興支援してくれました。日系人が中心になった支援団体・ララ物資は、日系人も収容所から戻ってまだ基盤が確立してないにも関わらず、食べ物を随分日本へ送ってくれました。アメリカの日系人には貧しくてもまだ食べ物があったけれど、日本はなかったから。“戦後お世話になった日系のためなら一肌脱ぎたい”と、佐伯が決めました。
近鉄エンタープライズは1961年に設立されて、私は第1次開発に来た人と入れ替えで1972年にSF市に赴任して、町の発展のために日系人たちといろんな交渉をしました」
—開発に反対もありましたか。
「ありましたが、“日本から来て開発してくれたら、自分たちにもいい都市になる”と考える日系二世や三世と関係があったんです。
僕ら二代目は初代先輩に教えてもらい、日系社会の人たちを紹介してもらい、桜祭りにも参加しました。電鉄会社というのは地域社会と密着した会社です。私鉄で働いている人は、地元と一緒に発展しようという気があると思います。
1988年に再び渡米してリトル東京の都ホテルの総支配人だった時、JANM新館建設の資金集めのゴルフ大会に委員としてお手伝いさせていただきました」
―二つの日本町の発展に携わった鈴木さんがJANMでボランティアするのは自然ですね。
ガリオア資金: GARIOA(占領地域救済政府資金)
エロア資金:EROA Fund(占領地域経済復興資金)
ララ物資:アジア救援公認団体が提供していた日本向けの援助物資。母体はサンフランシスコ在住の日系人の浅野七之助が中心となって設立した「日本難民救済会」。
参考:ウィキペディア
ガイド・ツアー オンラインお申し込みはコチラ▶
もっと知ってJapanese American!
「スペシャリスト達によるJANM体験ツアー③」
日米で活躍中の各分野、スペシャリスト達4人をゲストに招き、全米日系人博物館のツアーを敢行。19世紀後半に始まった移民、第二次世界大戦中を経て、戦後の人権運動にいたるまでの歴史を振り返り、参加者で座談会を行った。
田中「つくづく思うのは、カリフォルニアってこれだけ日本人、日系人の方々が暮らしていますけど、当時の状況を考えるとすごい住みにくい所だったのだなと。差別とか1900年代のはじめからあって土地も持てなくて、移民も規制されていたんですから」
八巻「強制収容所に関しては、以前に聞いたことがありましたが、実物の建物を見て、こんなにひどい所に住んでいたんだなと驚きました。自分たちも実際、差別をまだ受けてるじゃないですか、東洋人ということで。でも当時はそれとは比べ物にならないくらいだった」
鈴木「マイナスからのスタートだったわけですから、それをここまで持ってきたのは本当にすごいこと」
マック「僕が面白いなと思ったのは、入植時代から日本人はやはり現地社会に溶け込むというより、現地で日本人社会を作ってしまう。さらに、日常生活で表情が乏しい、笑顔がない。それがまわりから見たら、気味が悪かったのではないか。人種差別は日本人側にも問題があったのではないかと」
田島「そうだったかもしれませんが、日系人が過去から自然に築いてきたものが、やがて信頼に変わったことは事実です。アメリカという国は、純粋に努力する者、正直な者を正当に評価する国です。日本人の勤勉、正直さが認められたということだと思います」
鈴木「私について言えば、英語もわからない私がフットボールをやるためだけにアメリカに来たというのを認めてくれました。私の体は他の選手に比べて小さいけれど頑張っているというところを認めてくれます。そこに差別はないんです」
マック「やはり、もっと宇宙的にものごとを見ないとだめということでしょうか。アメリカ人だからとか日本人だからとかいう見方はやめた方がいい」
八巻「日本は戦争に負けて以来、なぜか自虐的というか、自信がないというか…。そういうところから脱却しないと今の日本は良くならないと思います」
鈴木「貧乏をしても誇りだけは失わなかった日系人。今、日本国内では国際問題が山積みですが、日本人が守ってきた誇りを私たちも引き続き守っていきたいです」
田中「過去からのつながりの中で今の我々が位置している。それをいかにして絶やさないで次世代につなげていくかが、自分たちの使命だと思っています。色々、経済面で大変ですけど、今までそれを乗り越えてきた日系人の緒先輩方の努力を無駄にできないですね」
八巻「またJANMに来ますよ。なんだかやる気が出ます」
一同「そうですね(笑)」
(敬称略)
田中雅美
日本語学園協同システム学園長。大阪出身。
八巻建志 八巻空手 代表師範
神奈川県出身、元全世界空手道選手権大会チャンピオン。
2002年渡米、八巻空手を設立。世界的な格闘技雑誌「ブラックベルト」で表紙を飾る。
現在、道場をトーランスに構える。
鈴木弘子 女子プロアメフトプレイヤー
東京都出身、2000年渡米、女子アメリカンフットボールでプロ選手第一号となる。今年度女子世界選手権で、米国代表に選ばれる。ロサンゼルス・パシフィック・ウォリアーズ所属。
マック赤坂 政治活動家、スマイルセラピー協会会長
愛知県出身、京都大学農学部卒業後、伊藤忠商事に入社。 財団法人スマイルセラピー協会会長、スマイル党総裁、レアメタル輸入販売会社マックコーポレーション社長。 これまでに東京都知事選や大阪府知事選などに出馬。
全米日系人博物館 案内人
田島喜八郎
日本生まれの新1世。福岡出身県、1968年に渡米、
全米日系人博物館では3年前からボランティアガイド。
写真・文 JUNZO ARAI, 写真・文・構成 TOMOMI KANEMARU
JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!
入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。
JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。
100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)
★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645
2013/11/30 掲載