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JANMへ行こう!! vol.30 - 日系アメリカ人の“帰米二世”について学ぶ


今月のガイド
吉永ジェームズ道也 さん

1929年ロサンゼルスのダウンタウン生まれ。85歳。帰米二世。1937年に家族で鹿児島県霧島市に帰り、8歳〜23歳まで過ごす。1952年帰米。1953年〜55年までアメリカ軍MISとして朝鮮戦争に参加。除隊後、カリフォルニア大学バークレー校に入学し、ロサンゼルス市役所でシティプランナーとして働く。1967年〜2002年までオレンジ郡日本語学校で教師を勤める。2005年からJANMでボランティアを始める。



―吉永さんの両親について教えてください。

父は鹿児島の小地主の息子でしたが、祖父が事業に失敗して土地を全部失ったので、父は渡米しました。母は福岡育ちでした。両親はグレンデール市で中華料理店を経営して成功したので、私が8歳のときに家族全員で鹿児島へ帰りました。あの頃は、ほとんどの日本人がアメリカで一旗揚げて日本へ帰国するつもりでした。

―鹿児島へ行った当時の様子を聞かせてください。

田舎の子供は異分子には敏感で、いじめられましたよ。私はアメリカから来て、髪型はアメリカンスタイルの長髪。日本男子はみんな坊主頭でした。特に鹿児島はバンカラでね。そういう気風が嫌でした。けれど、2、3年も経つと、みんなと仲良くなりました。言葉は、アメリカにいた頃から日本語学校へ通ったので、小学2年生に編入にしても不自由なかったです。中学になると太平洋戦争が始まり、兵隊と同じカーキー色の征服、戦闘帽、ゲートルという格好で、戦場に出るための軍事教練を受けました。

―なぜ1952年に再びアメリカに戻ってきたのでしょうか。

私は旧制鹿児島工業専門学校建築科(現鹿児島大学工学部)を卒業し、ある地方自治体から内定をもらいました。しかし日本に住む日系アメリカ人が日本人でないとできない職に就いた場合、アメリカ市民権を放棄したと見なされると脅されました。また父は小地主でしたが、戦後の農地改革で土地を小作に譲らなければならず、再びゼロになってしまいました。私は将来を考え、アメリカに行かないと後悔すると、あのとき思いました。

―アメリカに戻った翌年、徴兵されて韓国へ行きました。

1953年から55年までMISとしてソウルに派遣されました。除隊後、GIビルをもらい、カリフォルニア大学バークレー校で建築を学び、1959年に卒業しました。

—1960年代、リトル東京の再開発に関わったそうですね。

1961年にロサンゼルス市役所の都市計画局に勤め、リトル東京地域担当になり、一時的にリトル東京再開発に関わりました。リトル東京の1st通りは“メジャーハイウェイ”に分類され、道幅は100フィートと決められています。規定通りに再開発すると、北側の建物を取り壊して道路を拡張しなければなりませんでした。合同教会のハワード・トリウミ牧師が「このままではリトル東京が消えてしまうから、どうしたらいいだろうか」と市役所を訪ねてきました。Merit Savings Bank社長でJANM創立時のプレジデントだったブルース・カジさんも一緒で「歴史的に意義があるから、同じ町並みを保存したい」とおっしゃいました。官庁vs個人では弱いので団体交渉をしようと、リトル東京の経営者、地主、教会寺院関係者などが集まり、「小東京再開発協会」を結成しました。私は市役所と日系人の間に挟まり、辛い思いもしました。「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」という心境で、市のことを考えると道の拡張は必要だが、日系人のリトル東京のことを考えると拡張してはいけない。矛盾していました。

―上司はどう反応しましたか。

上司は日系人ではありませんでしたが、とても日系人を心配してくれて、私の背中を押してくれました。一週間に二日くらいランチミーティングを開き、市会議員にも話をして、幸いにもギルバート・リンジー市会議員が賛同してくれました。そして1st通りの道幅を拡張することなく再開発事業が公認されて、安心しました。

帰米二世はなぜ親日的?

―日系二世と帰米二世は違いますか。

意識構造が違います。“純二世”(日系二世)は、“日本人の子供”であるがために損害を被りました。排日運動も激しいなか、日本人の親は土地も所有できず帰化もできなかった。日系人は日本人だったことで、恩恵どころか苦労したという思いがあると私は考えます。だから自分の祖国を誇りに思えない日系二世もいますね。帰米二世もいろいろですが、私自身は戦後の帰米二世です。私はアメリカ生まれなので、鹿児島では人一倍、日本人であろうと意識しました。戦時中のある日、アメリカ兵が飛行機の窓を開けて低空飛行していました。なめきってる態度がしゃくに触り、家にあった銃で撃ったんですよ。そうしたら父に「ばかやろう!敵を誘うようなことをして」って殴られました。私は将来、飛行将校になろうと思っていました。アメリカ人のくせに日本人ですよね…。軍国青年となった私は、“味噌臭い日系アメリカ人”となり、そして“バタ臭い日本人”となり、アメリカに帰ってきました。

―鹿児島で過ごしたのは、8歳から23歳の15年間だけで、あとの70年間はアメリカですが…。

育った環境というのは恐ろしいですね。成長期に日本にいて、特にあの頃に叩き込まれた教育がね…と思います。帰米二世はだいたい親日的ですよ。私は日本びいきだと自認しています。オリンピックで日本人が勝つと嬉しいです。浅田真央が演技するときなんか、手に汗にぎって緊張しますもんね(笑)。

―どのような気持で、JANMでボランティアをしていますか。

私の上の世代の人たちは兵隊に行って死にました。私だけのうのうと生き延びて、特権を享受しては悪いような気がします。1930年頃、アメリカでは有色人種への差別があり本当に大変でした。大変だった一世のことを分ってあげたい、一世を労いたい、恩返ししたいという気持ちがあります。最近、三世や四世のあいだで、リトル東京に対する意識が薄くなってきています。60年代、二世たちがリトル東京再開発に一生懸命だったのは一体何だったのかな、リトル東京はあってもなくてもいいのかなって思います。 見方を変えたら、アメリカ社会に吸収されているということですが、痕跡がなくなってしまうのは寂しいです。何でもないことは、失って初めて「ありがたみ」が分かるものです。こういうことを含めてボランティアをしています。

■帰米二世 教育を受けるため、またはなんらかの理由で日本へ行き、再びアメリカに戻ってきたアメリカ生まれの日系アメリカ人二世のこと。

■GIビル 「復員兵援護法」。アメリカ政府が戦争で苦労した帰還兵に発給した助成金制度。使途はさまざまだが、教育や家の購入、家計費として使われた。

■農地改革 1947年、GHQのもと、日本政府が行った農地所有制度の改革。

■バンカラ(蛮カラ) ハイカラをもじり創られた。ハイカラの反対として野蛮な言動や振る舞いのこと。

■バタ臭い 西洋かぶれのこと、または人。

■メジャーハイウェイ 主要道路。アメリカの一般道は、メジャーハイウェイ(道幅・100フィート)、セカンダリーハイウェイ(86フィート)、ローカル(60フィート)に分類される。


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JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!

入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2014/04/05 掲載

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