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特集記事

フジタ・スコット - アメリカの大和魂 

アメリカで最大のスポーツイベント「スーパーボウル」。2010年の「第44回スーパーボウル」覇者ニューオリンズ・セインツに「FUJITA55」と日本名が入った背番号のプレーヤーがいた。「I'm half Japanese」と公の場で自己紹介するスコット・フジタだ。しかし、白人の彼に日本人のDNAは全く入っていない。生後間もなく日系アメリカ人の父と白人の母の養子に迎えられ、日系アメリカ人の家庭で育てられた。日系二世の祖父母、日系三世の父、そして“日系四世”のスコット。“ハーフ・ジャパニーズ”と自らをそう呼ぶスコットが受け継いだものは何だったのか。スコット・フジタが、自身の心のルーツを語った。




偏見はそこにある、だから僕は日系史を話す

(左から)母親のヘレンさん、兄のジェイソンさん、スコット、父親のロドニーさん。子供がいなかったフジタ夫妻は、ジェイソンさんも養子に迎えた(写真提供・ロドニーさん)
祖父のナガオ・フジタは、周囲に「甘過ぎる」と言われるくらいに優しく、僕たち兄弟をとても愛してくれました。僕たちは家から5分程離れた学校に通っていましたが、祖父は学校までよく迎えに来てくれました。けれど、家にはまっすぐに帰らずに買物に連れて行ってくれたり、アイスクリームを買ってくれたりしました。母は、僕たちが祖父と一緒だと知らなかったから、とても心配したものです。祖母のリリー・フジタは特別な存在です。威厳があり上品で優しい女性でした。私の人生のなかで、多分あんなに寛大な心を持った人には会ったことがありません。


学校の歴史の時間では教わらなかった日系史

スコット(左)と祖母のリリーさん。
1941年12月7日に日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、西海岸に住んでいた約12万人の日系アメリカ人たちは、敵性外国人として強制的に収容所に送られました。この事実を幼い頃に知りました。祖父と祖母はバークレーで出会いましたが、強制収容が決定されると、離ればなれにならないようにすぐ結婚しました。そして、同じ収容所に入り、そこで父が生まれました。この事実はアメリカで起こったことなのに、学校の歴史の授業で全く取り上げられず、僕はとても不満で怒りを感じました。これは、アメリカ史のなかでも大きな事件なのに、「なぜこのことについて話さないんだろう?」って。特に、9・11以降アメリカではヒステリックな過剰反応が起こったので、僕はこの事件について話しました。

祖父のナガオさん(後方)とスコット(写真提供・ロドニーさん)
僕が日系史について話すと友人たちは驚き衝撃を受けました。家族の歴史や養子縁組のことをNFLにいたときは、何度も話しました。南部の人たちにとっては、おそらく初めて聞いたことかもしれません。だから、とても価値があるのです。
一方で、偏見は今でも根強くあると思い知らされました。あるファンレターに、「ジャップ(日系アメリカ人に対する差別用語)貴様らには当然の報いだ」と書かれていました。こんな偏見が野放しのままでは、大変な揉め事へと拡大しかねません。だからこそ僕たちは、あらゆる機会に日系人の歴史を話し続けねばならないと思います。



二つの相反する考え「Go For Broke」「しかたがない」

祖父たちの歴史を知ってから、差別に対し、いつも怒りを感じています。祖父は、日系人部隊442で戦いました。彼らは僕のヒーローです。アメリカ合衆国への揺るぎない忠誠を証明すべく、海外の激戦地でアメリカのため、命懸けで戦ったのです。当時、アメリカが祖父たちにあんな酷い仕打ちをしたにもかかわらず。

「Go For Broke(とことんやる)」という(442部隊の)行動哲学は、祖父そのものです。一方で、状況を「しかたがない」と受け入れる。環境は自らすぐ変えられないけれど、そのなかで自分の最善を尽くすという考えです。この二つの対立する行動哲学の中で、僕は育ったようなものです。
祖父は、戦後、複数の言語を話す弁護士となり、オックスナードの日系アメリカ人の代表として活躍しました。そして、その地域のヒスパニックの人々の弁護をし、みんなから愛されました。僕も祖父をとても愛していました。


祖母は、「いかに苦しい環境にあっても、どんな小さなチャンスでも見つけ、全力を尽くすのが日本文化だ。自分に同情せず常に前へ進むのです」と教えてくれました。祖母は「戦後バークレーに戻り就職できたとき、職をもらえてとても幸運でうれしかったよ」と言いました。僕なら「僕が仕事を得るのは当たり前だ」と言ってしまうでしょう!このことに、僕はとても矛盾と葛藤を感じます。けれど、祖母はいつも穏やかで寛容でした。そして誰よりも謙虚で、つつましく誠実な人でした。年をとるにつれて、自分も祖母のようになりたいと思うようになってきました。

人々の共感を呼び起こし、弱者の味方になる

父親のロドニーさんからフットボールの指導を受けるスコット(中央)(写真提供・ロドニーさん)
フットボールは、僕にとって人生のすべてでもゴールでもありません。少年時代には大いに楽しみ、そして別の何か大事な目的への踏み台のようなものでした。両親から大学の学費の援助を受けていて、少しでもその負担を減らすための奨学金がどうしても欲しかったんです。昔も今も有力部員の多くは、高校生のときに奨学金付きでスカウトされて鳴り物入りで入部してきます。しかし、僕はトライアウト(一般公募)でやっと入部を許可されました。僕は高校卒業時、193cm、91kgのガリガリでした。ほとんどの部員は筋骨隆々。でも、コーチが僕の才能を信じて、1回生のときのトレーニングキャンプでチャンスをくれました。僕は試合にも出場できない四軍のセイフティーでした。(野球で言えばベンチ入りできない部員)でも、同じポジションの一軍から三軍の上位三選手が、トレーニングキャンプで怪我をしたのです。僕も腕を骨折していて、もう片方の腕には深い切り傷がありました。けれど両手にギブスとグローブをはめて、すべての練習に出て全力でプレーしました。実際は試合に出場できるレベルには程遠かったけれど、コーチが僕のガッツを認めてくれました。キャンプ後、僕は昇格されて試合用ジャージー(ユニフォーム)を渡されたのです。

-あえて険しい道を-他の誰よりも努力する

みんなが「そんな大けがをしているのにあんな激しい練習をして、傷が一生取り返しがつかないものになったらどうするんだ!」って心配してくれたけど、その結果、念願の奨学金をゲットできたのです。僕が選んだ方法は、ものすごく大変だし型破りでしょう。でも、欲しかった奨学金のチャンスに気付き、それを物にしたんです。これは、フットボールだけではなく、僕の人生すべてに当てはまることです。単に頑張るだけじゃなくて、“他の誰よりも”頑張る。僕が今までに手に入れたものすべて、この行動哲学で得たのです。それから、そんな僕に多くの人がチャンスを与えてくれたこともとても大事です。永遠に感謝します。

自らの信じることを伝える勇気を持つ

僕は、NFLのニューオリンズ・セインツでディフェンスのキャプテンでした。仕事をする上でもしっかりした倫理観を、僕は常に持っています。そして自分の考えを恐れずにいつも発言します。なぜか僕はいつもリーダーのポジションにいました。リーダーには、責任が伴います。リーダーは、何としても自ら率先し動かなければなりません。例えば、試合前最初にロッカーにいなければなりません。そして、頑張るとはどういうことか、正しいことをするのにはどんな意義があるのかを、後輩や次の世代に行動で示さなければなりません。

生い立ちや家族の歴史をすべてに結びつけたくはありませんが、それらが僕自身の哲学の大半を占めているかもしれません。もう一度、第二次世界大戦の頃に戻って考えてみましょう。当時、誰も日系アメリカ人を擁護しませんでした。僕はそれがいつも不満でした。だから、多分僕はいつも弱い者を擁護するのでしょう。だから結婚の平等の権利を否定している人々を見て戦ったのでしょう。これは僕にとって重要な問題です。移民改革のようなこととか。戦時、日系人は全員が敵性外国人と呼ばれました。これは非人道的な考えです。不法外国人という考えも同じことのように感じます。

アメリカでは、よく相手への思いやりが欠けてしまいます。人々に共感を呼び起こすように、僕はいつもできるだけ働きかけています。僕の体験や想いを分かち合えることで、みんなの共感を呼び起こせるのです。これがリーダーシップの大きな役割です。人気スポーツのフットボールの世界にいれば、有名選手が口を開くと注目を集められます。特に現役時代には、世の中の問題について自分の意見を話せば、みんなに影響を与えれるチャンスがあります。なぜなら、世間はスター選手が何を言うかを気にしているからです。僕は試合から遠ざかって2年が経ちますが、僕が言うことを今は誰も気にはしません。選手たちは現役時代と言う限られた時間のなかで自分の信じる何かのために行動した方が良いのです。

寛容・受容・正しいことのための戦いを提起する

スコットはリトル東京の「Go For Broke」の記念碑を訪ねた
僕を日本人と考えるか、それとも日本人ではないと考えるか、人々は僕をまるで“ラベル”のついた箱に入れようとします。これは不快です。僕は良い社会人であり、日々良い人間であろうと努力しています。僕はハーフ・ジャパニーズだという感覚で育ちました。日本の文化を体現しながら両親と家族を愛するということが、どうして問題なのでしょうか。人種という“ラベル”は重要ではありません。あなたを愛する家族がいることがより重要なのです。アメリカにはいまだに偏見という問題があります。しかし、そのことを声に出して言うことができたのもアメリカ史の一頁でした。過剰なヒステリーが人種差別と混じって広範囲で起こった大事件がありました。でも戦後時間が経ち、人々は日系人収容について聞くこともなくなり、歴史から忘れさられました。だから、その事件を語り、掘り起し続けるのはとても大切なことです。僕が日系アメリカ人の体験を話し続ける理由はここにあります。

人種という“ラベル”は重要ではない

フットボールでプレーの一つに「ジャップ」というのがありました。「奇襲攻撃」を意味する用語で、相手チームがこれをプレーすると見れば、味方同士で「ジャップ、ジャップ、ジャップ」と言いながら警告を出し合います。多くのチームがこの用語を使っていました。僕はNFLのルーキーのときにこれを聞いて、コーチに「これはあまりにも人種差別的で適切さを欠いています」と訴えました。コーチは「そんなこと思ったこともない。この単語はいつもこうやって使うんだ」と、この単語の語源を話してくれました。けれど、それは語源の説明とはとうてい言えないものでした。「あなたの解釈は全く間違っています。高校で、あなたのコーチが何を教えたかは関係ありません」と僕は言い返しました。すると「うーん、そんな風に考えたことは一度もなかった」とコーチは答え、次の日から誰もこの単語を使わなくなりました。

「ジャップ」にどれだけ日系人が傷つくか

人々は、この言葉がどれだけ日系人を傷つけるか、理解していません。おそらく、それがどんなに不愉快か、コーチは思いもしなかったでしょう。だから、会話のなかで自分の考えをしっかりと口に出すことはとても重要です。こんな汚い単語を使っている人がいたら、脇に呼び、「それはとても侮辱的な用語です。あなたはこの単語をそんな意図で使っていないと感じますが」と言えば、「そんなこと一度も考えたことはなかったよ」と多くの人が回答します。このアプローチだと、とても社交的です。日系アメリカ史を話す意義は、「寛容」、「受容」、そして「正義のための戦い」という多くの価値観を人々の心に提起できることだと思います。ダラス、ニューオリンズ、カンザスシティと移籍する先々で幾度も幾度も話しました。チームメートから「何だ!その名字?」と聞かれるたびに、「これについて少し話すよ」と始めました。このことは、話続けてこそ価値があります。この話に飽き飽きした人もいました。でも若者や子供にとっては初めて聞く話なのです。日系アメリカ人、日本人、アジア系アメリカ人の方々を、少しでも僕がこのことで元気付けれて、良いお手本になれるのなら、もちろん喜んでその責務を全うします。





スコット・フジタ プロフィル
カリフォルニア州ベンチュラ出身。元NFL選手。現在はFOXスポーツ局でキャスターを務める。FA取得時、自らの希望でハリケーンの傷跡の生々しいニューオリンズ・セインツへ移籍。第44回スーパーボウルでは、ニューオリンズ・セインツのラインバッカーとしてチームの優勝に貢献。NFLの平均選手寿命は約3シーズンだが、11シーズンと長期にわたりプレーした。生後間もなくロドニー、ヘレン・フジタの養子になった。幼い頃からスポーツ万能で8歳からフットボールを始めた。UCバークレーに入学すると奨学金を得るためにアメフト部に入部。「プロになるとは考えてなかった」と話す。スコットの祖父ナガオと祖母リリーは、第二次大戦中、アリゾナ州の強制収容所に入れられた。ナガオは招集命令により日系人部隊442に所属しヨーロッパ戦線に行き、リリーは収容所内でロドニーを出産した。スコットは祖父母を非常に尊敬している。(敬称略)




2013/12/21 掲載

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