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日系社会のフロンティアを尋ねる vol.12 - ドン・ノセ Go For Broke National Educational Center プレジデント
日系社会で活躍するリーダーと各界で活躍する日系リーダーを尋ねるシリーズ。第12回は、Go For Broke National Educational Centerプレジデントのドン・ノセ氏にインタビューした。

ドン・ノセ

1955年生まれ。日系カナダ人三世。Staubach CompanyやCB Richard Ellisで不動産コンサルタントとして活躍後、非営利団体に転職。2011年にGo For Broke National Education Centerプレジデント就任。



違いを誇りに思う

—ノセさんは日系カナダ人ですが、カナダの戦時中の日系史を教えてください。

カナダでもアメリカと同様に、西海岸に住んでいた日系人への強制収容がありました。しかしアメリカと違い、カナダには人権保障が憲法になかったので、カナダ政府は日本人と日系カナダ人、約5000人に国外退去を命じ、日本へ強制帰国させました。後で抗議がでて国外退去はしなくなりましたが、その代わりに、日系カナダ人の資産没収と強制収容が始まりました。
私の父は大学を卒業したばかりの頃で、何か悪いことが起きそうだと感じた祖父は、西海岸からトロントへの引越しを決断しました。このお陰で父の家族は、強制収容を逃れました。しかし母の家族はスローカンの収容所に入れられました。東海岸で職が見つかれば収容所から出ることが許されたので、母は妹と一緒にトロントで就職しました。
カナダでは、戦後も日系人が西海岸へ戻ることは禁止されました。収容所から解放されても日系人には戻る場所もなく、すべて新しく始めなければなりませんでした。


—ご両親からの「教え」があれば、聞かせてください。

父は頭脳明快な人で、情報を集めて分析して答えを出すことを教えてくれました。母からは『義理』『我慢』を学びました。私は長男なので家名を継ぐと期待されました。また家名に傷を付けてはいけない、祖父母や目上の人を尊敬し、日本文化に敬意を払い、学問やスポーツでは人より秀でるという使命が私に課せられた『義理』『義務』でした。

—とても日本的な感覚ですね。ご両親は、ノセさんを日本人のように育てたのでしょうか。

いいえ、両親は外見でとても苦労したので、三世の私には白人がいるメインストリームで成功する教育をしました。三世という世代は、ミックスされたアイデンティティがあります。私は日本語学校にも通わず、日本伝統のスポーツも習わず、バスケットボール、ベースボール、フットボールをしました。友人は白人ばかりで、日系コミュニティとは縁がありませんでした。
しかし、大学へ入学して一変しました。ダンスパーティで女性を誘ったら、なんと断られたんです!私は驚いてしまい、その後、考えましたよ。3つの理由が浮かびました。�彼女はダンスしたくなかった、�私とダンスをしたくなかった、�私の外見はアジア人なので、彼女はアジア人とダンスしたくなかったです。とにかく今までとは違う考え方が必要でした。私は内面は白人だと思っていましたが、人が私を見たら外見から私をアジア人と認識します。これ以来、私は世の中を違う角度から見るようになりました。
就職すると日系カナダ人の友人ができて、日系人だけの集まりに誘われました。初めて参加したのですが楽しくて、なんだかやすらげました。マナーが同じというか、会話で笑う“ツボ”も同じで、日系二世の両親を思い出して家にいるような気分になりました。とても面白い現象が起きていました。


—徐々に、日系コミュニティに関わっていったんですね。

日系アメリカ人の非営利団体「Go For Broke National Education Center (GFBNEC)」で働き始めたきっかけを教えてください。
スターバック・カンパニーで学校や市の公共施設や非営利団体に向けた不動産アドバイザーをした時、非営利団体のクライアントと企業のクライアントの違いを痛感しました。少しずつ自分の気持ちが、非営利団体に向き始めたのを感じました。非営利団体の使命は利益を上げることではなく「良いことをする」です。そこで自分自身の二つ目のキャリアとして、私も何か良いことをしよう、私のこれまでの経験や知識を非営利団体のために捧げようと決心しました。そして非営利団体で働いてい
ると、GFBNECが新しいプレジデントを募集していると聞きました。文化背景も、私自身のアイデンティティも、文化的な自覚という点でも自分にあてはまると思い応募し、採用されました。


—GFBNECでのノセさんの任務を教えてください。

組織の活動がきちんと持続していくことに責任があります。事業戦略が正しく行われなければなりません。それには、次の二つのことが言えます。組織がフォーカスする目的に基づいて正しく展開すること、組織の運営資金を作り、寄付を募ること。
プレジデントの50%の時間は、資金集めに使われます。残りは、現在の活動に加えて、将来も活動が持続するような正しいビジョンを作ることに費やします。現在、どこの日系アメリカ人組織も、この問題に挑戦しています。
二世のみなさんは、いつも日系の非営利団体を支援しています。しかし三世たちは、日系団体にそれほどフォーカスしていません。これは、二世が三世をメインストリームへと押し出したことが成功したからです。現在の私たちの課題は、「日系団体に貢献してきた二世の代わりをどうすればいいのか」です。


—Go For Brokeの意味を教えてください。

ロサンゼルス・リトル東京にあるGo For Broke記念碑。Go For Broke National Educational Centerは第二次世界大戦中、日系二世で構成された第100大隊や第442部隊の活躍を後世に伝えることを目的に、1989年に設立された。
サイト www.goforbroke.org
第二次世界大戦中に、日系アメリカ人にアメリカ軍への志願を呼びかけたところ、1万人以上が集まりました。最初の日系人部隊は、ハワイの日系人が中心でした。当時、彼らはサイコロを使ったギャンブルをよくしていました。プレーする時に「I’m gonna go for broke!」と言って、持ち金全部を賭けました。それが戦時中にも使われました。
1944年、ヨーロッパ戦線でテキサス大隊がドイツ軍に取り囲まれました。幾度も救出作戦が展開されましたが、すべて失敗に終わりました。そこでルーズベルト大統領は日系人部隊442に救出命令を出しました。その時、日系兵士たちは「何が何でも任務を遂行するぞ!Go For Broke!」と声をあげ、それ以来、彼らのかけ声になったのです。「Go For Broke」とは、何も残すことなく、100%賭けるという意味です。


—将来、どのようにJapanese American National Museum (JANM)と協力する予定ですか。

アメリカ政府から新しい博物館を建設するプロジェクトに対して予算が出ましたが、それは新しいビル建設にかかる費用の1/3です。建設までにはさらに多額の資金が必要ですし、その後の運営費用も必要です。そこでJANMの歴史建造物である元西本願寺を20年間リースすることにしました。来年にはリトル東京へ移り、2016年には展覧会を開く予定です。場所もJANMと近くなるので、コミュニケーションも簡単になり、協力することも増えるでしょう。

—若い世代に日系アメリカ人の歴史を伝える時に、どのようなお話をされますか。

日系三世や四世には、「みなさんの文化背景を誇りに思ってください」といつも伝えます。日系一世たちは、英語も話せないのに日本から海外へ行きました。当時はひどい差別もありましたが、意志、決意、努力、犠牲で困難を乗り切り、今日のように成功しました。ハワイのプランテーションでは安い賃金で重労働をしながら少しずつお金を貯めて、小さいお店を開いたりしました。移民初期の人々はこのようにして、未来の世代に道を開いたのです。感動します!
軍隊についても日系人の発展は、一目瞭然です。1942年に日系アメリカ人は「敵性外国人」と見なされたにもかかわらず、1999年には、エリック・シンセキさんが 第34代陸軍参謀総長に就任しました。たった一代で日系人はここまできたのです。アメリカでは誰でもチャンスが与えられ、誰でも何でも達成できる、これがアメリカの素晴らしいところです。しかし、日系アメリカ人のすごさも、この話で分かります。日系人の若者は、このことを誇りに思うべきです。日系人の文化背景を尊敬すべきですね。継承されている文化はとても豊かです。私が若い頃は、外見が違うとか、違いを気にしましたが、この違いを誇りに思うべきです。
日系アメリカ人のストーリーは、どんな文化背景を持った人々にも共通する話です。移民としてアメリカにきた方たちも固い決意を持ち懸命に働けば、自分がなりたいものになることができます。日系アメリカ人が、その良い例です。


—私たちがサポートできることは、ありますか。

ボランティアはいつも募集しています。日本語のドキュメンタリーフィルムを英訳してくださる方を探しています。事務のお手伝いからファイナンシャル、マーケティング、グラフィックデザインなど、あらゆる分野でのボランティア大歓迎です。また寄付はいつでも受け付けています。
毎週月曜の昼は、日系退役軍人の方々と未亡人の方々が集まり、ランチを一緒にしています。戦後、日系兵士たちの功績のお陰で、日系人への差別的態度はだいぶ緩和されました。日系人、ひいては日本人は法律を守り、働き者で正直な人種だと、最初にアメリカ中に知らしめたのは彼らです。年々、二世の方々の人口が減っています。体験談などを直接に聞ける貴重なチャンスなので、ぜひご参加ください。



写真・文・構成 Tomomi Kanemaru

2014/12/20 掲載

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