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特集記事



JANMへ行こう!! vol.50 - アメリカ大統領からの謝罪と補償、そして複雑な気持ち


今月のガイド
アイク・ハチモンジさん

1928年インペリアルバレー生まれの日系二世。JANMでボランティアをしているマイク・ハチモンジさんとは双子の兄弟。一世の父クメオさんは戦前に種物屋を営んでいた。日系人のMichi Taniokaが監督したショートフィルム『SOWING SEEDS OF LIFE...OF HOPE』に、ワイオミング州ハートマウンテンの収容所に種を運んだアイクさんの父親が描かれている。



―ルーズベルト大統領が1942年に発令した「大統領令9066号」が、西海岸に住む日系人たちの強制収容の引き金となりました。当時、アイクさんは14歳でしたが、自分たち日系人に何が起きているか、分かっていたのでしょうか。

いいえ、分かりませんでした。両親は子どもたちには心配させたくなかったようなので、何も話しませんでした。父は日系人農家が多いエルモンテで種物屋を営んでいましたが、私の家はロサンゼルス市近くだったので私の友人はみんな白人でした。そんな中で「私たち日系人が他の人とは違うんだ」と感じたことは、それまで全くありませんでしたし、「自分は日系人だ」と強く意識したこともありませんでした。だからなおさら事態を理解できませんでした。

―アイクさんはなぜJANMでボランティアを始めたのですか。

コミュニティに貢献したいと思ったからです。私は戦争時に差別を受けたり強制収容をされたり、さまざまな体験をしたので、交流をしながら公民権運動の活動もしたかったのです。学校ではJANMで伝えているようなことを教えませんから、子供たちが、私の体験から何か学んでくれたらいいなと願っています。
 もう一つの理由は父のためです。父は生前、市民権や人権問題に興味があったので、もし父が生きていたら、きっとJANMでガイドをしていたと思います。


―公民権運動の団体に所属していますか?

私はJapanese American Citizens Leagueのメンバーです。ミーティングなどに参加していました。

―1988年8月10日にロナルド・レーガン大統領(当時)が「1988年市民の自由法(通称、日系アメリカ人補償法)」に署名しました。これによりアメリカ政府は公式に日系人強制収容を謝罪して2万ドルの補償金を日系人に支払いました。これらを受け取られた時、どんなお気持ちでしたか。

感じたことはいろいろありましたが、“政府の謝罪”にすぎませんでした。政府はやらなければならないことをやっただけ…連邦議会は補償金の法案を通しただけ…という感じでした。意義があることとは思えませんでした。
 厳密には戦争中に起きたことへの謝罪の方法はありえないんですよ。私たち日系人が失ったものは、とてつもないほど大きかった…。失ったものに相当する補償などありえないんです。
 アメリカ大統領からの謝罪の手紙は、気持ちがこもったとは言い難いほど“そっけない手紙”でした。もっと気持ちが強く込められた表現でもいいと思いました。お役所仕事のような文章と大統領の署名がされていて、個人の宛名もなく、印刷所で大量に刷られたものでした。手紙から政府の誠意を感じることはできませんでした。「謝罪の手紙」ならば、もっと何か深いものがあってしかるべきだと私は考えます。
 もちろん補償金額についても十分とはいえません。補償に関しては、国会で大きな議論がありました。ある日、私はワシントンDCの連邦議会で、議員たちが補償について議論しているのを傍聴していました。私が特に覚えているのは、上院議員のジェシー・ヘルムズ氏の発言です。
 「もし、日本政府が真珠湾で殺害したアメリカ人の家族やアメリカ軍の人々に対して補償するのであれば、私は、アメリカ政府が日系アメリカ人に補償することに賛成しよう」という内容でした。
 真珠湾攻撃と強制収容は間接的には関係ありますが、ヘルムズ氏が言ったことは全く論理的ではありません。アメリカ政府のとった政策に間違いはないから謝罪する必要はないと、多くのアメリカ人が思ったことでしょう。
 この法案には多くの反対意見もあったので、成立は並大抵なことではありませんでした。私が聞いた話では、レーガン大統領でさ
 えも「署名するべきかどうか」と署名直前まで悩んでいたそうです。その時、躊躇っていた大統領の背中を押した人がいました。トーマス・H・キーン ニュージャージー州知事(当時)です。州知事は、大統領が陸軍大尉だった頃に行ったスピーチを、もう一度、大統領自身に思い起こさせたのです。それは、戦死した日系人部隊442兵士、カズオ・マスダ氏の埋葬式で行われたスピーチでした。
 戦後、マスダ氏の遺体は出身地の墓地に埋葬されることになりましたが、「日本人の子孫の埋葬などとんでもない」とコミュニティの人々から反対がありました。そこで、埋葬が無事に行われるのを見届けるようにとレーガン大尉が陸軍から派遣されました。その時、レーガン大尉は「砂浜にしみ込んだ血は全て同じ色だ」とスピーチしたのです。言い換えれば「兵士の肌の色も人種も関係ない、アメリカ軍兵士はみな同じだ」ということです。
 1988年、自分自身のスピーチを思い出したレーガン大統領は法案に署名しました。他の国では、政府が謝罪するなど滅多にないと思うので、この点では感謝しています。アメリカ政府は民主的な方法をとりました。


―戦後69年経った現在でも、さまざまな人種が暮らすアメリカには人種差別が残っています。だからこそ1988年のアメリカ大統領からの公式な謝罪と補償を含んだ法案成立は、アメリカの未来にとって非常に意義があります。
 一方で、日系人の方にとっては、受け入れ難い複雑なお気持ちもあったのではないでしょうか。


痛みはいまだ癒されていません。謝罪に気持ちがこもっているように思えなかったと、多くの日系人も感じているでしょう。謝罪があったことは良いことです。また難しいことです。しかし、もっと良い謝罪があったはずだと私は思うだけです。
 補償金は、強制収容された生存者、約6万人のみに与えられました。強制収容されたのは約12万人だったので半分はすでに亡くなっていて私の両親も他界していました。彼らは何も得ませんでした。このことで私は傷つきました。
 アメリカ政府は、この法案に「強制収容された日系アメリカ人で生存者のみ」という条件を入れました。なぜならアフリカ系アメリカ人が、奴隷として扱われた祖先の補償を求めてくるかもしれないと心配したからです。政府は、これをなんとか阻止しなければならないと考えました。


―だから「日系アメリカ人」「生存者」と限定したんですね。
 ある日系人の方は補償金を受け取っても自分では使わずに、JANMや教会などの団体に寄付したと聞きました。


それは本当です。しかし一方で補償金の受け取りを拒否した人もいました。これは政府に対して「あなた方が私の許しをお金で買うことはできません」という気持ちの現れでした。
 私は、正直、惑わされましたね。受け取る前に悩みました。悩んだ末に、複雑な心境で受け取りました。多くの日系人も同じ気持ちだったと思います。



「1988年市民の自由法(通称、日系アメリカ人補償法)」に署名するレーガン大統領(中央)
1988年8月10日、レーガン大統領は「1988年市民の自由法(通称、日系アメリカ人補償法)」に署名し、アメリカ政府は初めて公式に日系アメリカ人に謝罪。署名した日に生存している被強制収容者全員に対してそれぞれ2万ドルの補償金を支払った。同時に、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、日系アメリカ人の強制収容所体験を全米の学校で教えるため、12億5,000万ドルの教育基金が設立された。(www.janm.orgより)


写真・文・構成 Tomomi Kanemaru


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入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2014/12/06 掲載

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