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日系社会のフロンティアを尋ねる vol.8 - Vol.8 海部優子 ユニオンバンク広報部シニア・バイス・プレジデント
日系社会で活躍するリーダーと各界で活躍する日系リーダーを尋ねるシリーズ。第8回目は、ユニオンバンク広報部シニア・バイス・プレジデントの海部優子氏にインタビューした。

海部優子

元外務省職員。外務省北米第一課、総合外交政策局課長補佐など。外務省通訳担当官。2001年に在ロサンゼルス日本総領事館に赴任。2007年、外務省を退職。全米日系人博物館副館長を経て、現在、ユニオンバンク勤務。奈良女子大学文学部卒業。カナダ・クィーンズ大学社会学部修士号。同大学講義助手。神戸市出身。



天皇 皇后両陛下のお言葉を、時折思い出す

—「外交官になろう」と思われたきっかけを教えてください。

幼い頃、持っていた絵本に、「なんと、きれいなあさでしょう」と日本語で書かれていて、「What a beautiful morning it is!」と英語でも書かれていたのを見て「こういう言葉があるんだ」と思いました。これが英語との出会いでした。
中学生になると英語の先生が若くて素敵なアメリカ人の女性を学校に連れてこられ、生徒たちと半日一緒に過ごしてくださる機会がありました。お別れする際に「I like you」と覚えたばかりの発音で話しかけたところ、その方は「Thank you!」と言ってハグしてくださったのです。私は通じたことがとても嬉しくて「英語を話せると日本人以外の人たちと会話ができる」と実感しました。
このような体験もあり、「国際的な仕事をしたい」という気持ちが私の中で芽生え始めたように思います。当時は、民間で女性がプロとして仕事をしていくのは今よりも難しい時代でしたので、国際的な仕事ができる公務員というと必然的に外務省が最も適しているように思われました。


—当時の女性外交官への外務省の対応はいかがでしたか。

入省して2年目に、カナダのクイーンズ大学の大学院に2年間留学し、その後、オタワの日本大使館に書記官として勤務しました。まだ20代の若い『研修あがり』で、日本大使館で勤務していた女性の外交官は私一人でした。日本人の女性外交官が勤務しているということだけでカナダ人から驚かれるような時代でした。
実は当時の日本大使は女性に厳しい方で、着任当初は予定されていた政務担当はさせてもらえず、広報文化センターに配属になりました。“女性に政務は無理”と思われたのがショックでしたが、認めてもらうためには頑張るしかないと自分なりに励みました。そして半年後、厳しかった大使が認めてくださり、政務班に異動になった時は嬉しかったですね。それ以降は大使がカナダ政府の高官と会談される際には必ず同行して、レポートを作成しました。「本省への大使報告を作成する時には大使になったつもりで書け」など、いろいろご指導くださいました。努力したことで認めていただけて、その後の自信にもつながりました。


—外務省では、皇后陛下、総理大臣や外務大臣、海外要人の通訳官をされていたそうですが、通訳官について教えてください。また当時のエピソードをお聞かせください。

天皇陛下の第一皇女・紀宮清子内親王(現黒田清子さん)(中央)が、ハワイを訪問された際に、海部氏(左)は通訳として随行した=1999年
外務省には公式通訳官制度があり、若手の外務省職員の中から通訳としての適性があると認められた者数名が選ばれて、通訳担当官に任命されます。私は北米一課で勤務していた頃に英語の通訳官に任じられました。当時担当した海外からの賓客としては、レーガン大統領、ブッシュ大統領、ダイアナ妃、キッシンジャー元国務長官、ベーカー国務長官など、さまざまな方々とお会いしました。
マイケル・ジャクソンさんが「Bad World Tour」のため訪日した際には竹下登総理を表敬訪問されることになり、私が通訳をすることになっていたのですが、リハーサルが長引いたため、直前でキャンセルになりました。私はマイケルさんについての書籍を買い込み猛勉強し、胸をときめかして“その時”を待っていたので、非常に残念でした。


—在ロサンゼルス日本総領事館に領事として赴任されて、「在米日系人リーダー訪日プログラム」を立ち上げるなど日本と日系アメリカ人との絆を深めることに尽力されました。

総領事館では政務・総務の担当責任者だったのですが、このほか、日系担当領事として、日系コミュニティと日本との関係強化も担当しました。週末も含め、さまざまな日系イベントや会議に出席し、いろいろな方と親しくお付きあいさせていただくことができました。アメリカで生まれ育った日系三世、四世の人たちの世代になると日本との関係が希薄になってきており、日米関係のパイプを強化する目的で、訪日プログラムの立ち上げに携わりました。
実は、ロサンゼルスに赴任する直前、天皇皇后両陛下が送別のお茶にお招きくださいました。外務省時代、私は多い時で週2回ほど皇后陛下の通訳官をさせていただき、時には天皇陛下の通訳も務めさせていただいたこともありました。そのお茶の席で両陛下より「ロサンゼルスと言えば、日系人の方たちのことがいつも心にあります」というお言葉がありました。その時点では、自分が赴任先で日系人担当をすることは知らなかったのですが、両陛下のその時のお言葉がとても印象に残っています。在勤中、折に触れて両陛下のこの時のお言葉を思い出していました。


—外務省を辞めて、ロサンゼルスのダウンタウンにある非営利団体の全米日系人博物館の副館長に就任されました。国家公務員から博物館スタッフへ転職した理由とそれにともなう変化をお聞かせください。

「在米日系人リーダー訪日プログラム」を含め日系人と日本との関係強化のための業務が非常に忙しくなりました。多忙ながら充実した在勤生活を送っている間に、ロサンゼルスでの在任期間が通常より長くなっていったのですが、いよいよ異動時期が近くなった頃、もう少し日系アメリカ人と日本との絆づくりのために努力してみたいと思うようになりました。その頃、全米日系人博物館館長をしておられたアイリーン・ヒラノさん(現米日カウンシル会長)からのお誘いもあって、思い切って外務省を辞めて博物館の副館長に就任しました。
外務省を辞めて初めて「いかに外務省という組織に守られてきたか、その看板のもとに仕事をしてきたか」ということを実感しました。ある意味、大げさですが一人で荒野に放り出されたような気持ちになりました。けれど、そのような時に暖かい眼差しでコミュニティに迎えてくださった方々、「他国に異動しなくて良かった」と心から喜んでくださった方々もおられて励まされました。人の温かみがとても嬉しかったです。
また、転職を機に、組織のプロテクションがなくなったことをいろいろな意味で考えることができたのは学びの一環でした。以前の自分と比べて人間的に成長できたかと思います。例を挙げると、総領事館の領事としてイベントに出席していた頃は主催者の方が丁寧に対応してくださり、式辞も頻繁に依頼されました。しかし、一個人としてアメリカのイベントへ出席すると、私はマイノリティーの一人であり、出席者の一人として埋没します。自分から話しかけ、講演会などでは積極的に質問をしないとそれで終わってしまいます。“外務省の職員”ではなく、個人としてアメリカ人に認めてもらうためには、自分自身を磨き発信していくことが大事だと感じました。
当然のことながら、国家公務員は日本政府の立場や政策を発信することが使命であり役割ですが、外務省を離れたことで、ある程度自由に自分の考えを発信できるようになりました。そのためには内容が伴わなければなりません。インプットは、ある意味、アウトプットより大事です。知識を吸収し、これはこうじゃないだろうか、違うだろうかなどと考え、消化し、初めて発信できます。自分を磨くため、情報を吸収し勉強することは重要だといつも認識しています。なかなか実践できないでいるのですが(笑)。



外務省から民間へ転職 根底の価値観に一貫性

—日系コミュニティでさまざまなボランティアをされていますが、そのきっかけをお聞かせください。

外務省に限らず、公務員になる人たちの多くは、「国のために、社会のために、小なりといえども尽くしたい」という志を持っていると思います。私も、お金儲けというよりは公のために仕事をすることに生きがいを感じていた面がありました。ボランティア活動は公務員の仕事とどこかで繋がっている部分があり、外務省を辞めた後も、自然にコミュニティ活動に参加することができました。
最も心に残っているのは、橋田寿賀子さん脚本による日系人の歴史を題材にした大型ドラマ「99年の愛」の日系人文化監修をさせていただいたことです。このドラマは、TBSの開局60周年記念ドラマとして、2010年11月に5夜連続で日本で放映されました。全米日系人博物館に勤めていた頃、同局の総括プロデューサーが来られ、「企画があるので協力してほしい」とご依頼があり、結局、個人的に無償でお引き受けすることになったのです。
このドラマはフィクションなので、史実と異なる部分があって当然ですが、重要な歴史的側面やアイデンティティの問題については、なるべく真実に近い形にしていただけるように、何度も脚本を読み、コメントさせていただきました。時代考証をしていただく研究者の先生をご紹介したり、現代の日系人の生活ぶりが反映されるよう二世の方のご自宅に監督をお連れしたりしたこともありました。かつて日系人収容所があったマンザナーのロケ現場にも何度か行って、頑張っておられる俳優さんやスタッフの方たちにアンパン100個を差し入れたこともありました(笑)。
完成して放映された作品は、最終夜は19%以上という高視聴率を記録し、ロサンゼルスで行なった無料上映会でも多くの日系人の方たちが涙を流して鑑賞しておられました。嬉しかったのは、二世の高齢者の方が涙ながらに、「私は英語しか喋れないので、日本語の一世の両親の会話や気持ちが長い間分からなかった。でも、このドラマを観て初めて両親の当時の気持ちが分かったような気がする」とおっしゃったことでした。あの涙で、自分の努力が報われたような気がしました。


—現在は、ユニオンバンクにお勤めですが、今後は、どのように社会に貢献したいとお考えですか。

私にとって初訪日でした。高円宮妃殿下や安倍首相、日本企業のトップの方々にお会いするなど、非常に素晴らしい経験でした。
ある日、私たちは福島県の被災した子供が通う小学校を訪問し、小学生と一緒に給食を食べました。子供たちは牛乳を飲み終わるとリサイクルしやすいように紙パックを破っていました。その後、子供たちは膝をついて教室の床を拭いたり、トイレを掃除したりしていました。私は小さい子供たちのそんな姿を見て感動しました。そこには“忍耐力”があり、私は自分自身が日本人であることに誇りを感じました。
消防士になる訓練では、100人中35人が脱落します。それほど厳しい訓練なのです。“途中でやめない”という伝統を、私は日系人の両親から受け継いだのだと思います。“やること全てにおいて、ベストを尽くし、成功させようとする”、このメンタリティーこそ、私が消防局に就職したときに持っていたものです。
出来る限り一生懸命働くと、どうにか困難を乗り切ることができることも私は両親から学びました。第二次大戦中、両親はトゥールレイク強制収容所に送られ、戦後に収容所から出された時には何も持っていませんでした。だから両親は再びすべてをやり直さなければなりませんでした。しかし、彼らは、戦前に築き上げた財産全てを奪い取られたことや戦後に何も所有していなかったことに対して一度も文句を言ったことがありません。


—今後はどのような活動をお考えでしょうか。

三つ子の魂100までと言われますが、社会人になって間もない頃に学んだことや植えつけられた価値観というのは、ずっと忘れずに身体に染み付いている部分があると思います。その意味では、私は公務員から非営利団体へ、そして民間企業へと転職しましたが、根底に流れている価値観は一貫しているような気がします。それは、もちろん、自分の仕事に常に100%取り組むといった社会人としての基本姿勢もありますが、特に官庁での仕事を通じて、社会のために貢献したいという気持ちが培われたような気がします。もちろん銀行は営利企業ですが、ユニオンバンクには『正しいことをする』『責任ある銀行でいる』という信条があります。現在、純益の2%をチャリティ活動に寄付していますし、コミュニティの一員であるという意識が強い職場でもあります。「お客様の繁栄があってこそ銀行の繁栄がある」という思いが非常に強いのです。だからこそ、創業以来150年もの間、お客様にご愛顧いただいてきたのではないかと思います。担当している広報や社会貢献活動を通して、お客様からより一層信頼していただける銀行が実現できるよう微力を尽くしたいと思います。


=Tomomi Kanemaru

2014/06/21 掲載

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