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JANMへ行こう!! vol.34 - 自分の特質を生かしJANMボランティアをしよう


今月のガイド
ボブ・カツミ・ウラガミ さん
1928年ロサンゼルス生まれ。日系二世。コロラド州アマチの収容所に送られる。そこで未来の妻となるルミさんと出会う。海軍に入隊し、GIビルで大学へ進学。手先が器用な特質を生かし、引退後、1991年にJANMのプロダクション・デパートメントで大工仕事を主にするボランティアを始める。




―移民初期の頃、独身で渡米した日本人一世の多くが、結婚するために同郷の知人に写真を送り、花嫁を見つけてもらいましたが、ウラガミさんのご両親の場合はいかがでしたか。

両親は二人とも和歌山県浦神という小さい町の出身だったので、父は母のことを知っていました。母は俗に言われる“写真花嫁”ですが、まったく見知らぬ同士ではありませんでした。母が保管していた物のなかに、1916年に父から送られた手紙がありました。

そこには、「あなたが聞いているアメリカの生活とは違い、お金のなる木はありません。アメリカに来てもこちらでの生活は大変です」と書かれていました。日系人男性のなかにはお嫁さんほしさに誇張した表現をした人もいたらしいですが、父は包み隠さずに事実を書いていました。
この手紙の内容は、JANMが日系史を語る品物を収集した時に、「何か古い物はありませんか」と私に問合せてくれたのがきっかけで知ることができました。私は日本語を読めなかったので、JANMにその手紙を持っていくとスタッフが英訳してくれたのです。


―とても正直なお父さんですね。日本へ送る写真を、他の人の家や車の前で撮った日系人がいたと聞いたことがあります。

父は渡米した当初は農家で働いていましたが、そこを辞めてレストランを経営するために、レストランで修行しました。レストランを始めて3年が経ち、さあこれから黒字にするぞというときに、真珠湾攻撃が起きました。そして収容所に行くために、レストランを売らなければなりませんでした。父は一世のなかでも年配でアクティビストでした。

自分の考えを発言することを一切恐れてはいませんでした。1945年12月7日、お坊さんや教師がアメリカ政府に連行されましたが、父はされませんでした。私たちは不思議でしたね。
当時、父はアメリカのボーイスカウトのコミッショナーだったので、政府はコミッショナーが危険人物であるはずはないと判断したのかもしれないと、父の知り合いは口々に言いました。父は白人達に、「どうして日系人は抵抗運動をしないんだ」と聞かれていましたね。
父はきまって、「信号が赤になったら止まるだろう。これが法律だ。法律が、私たちに収容所に行かなければならないと言ったんだから、行けということだ」と答えていました。“政府が言ったのだから、やらなければならない”という考え方は、おそらく日系一世達の考え方なんでしょうね。一方で父は、「If you are right, stick to your guns. If you are wrong, be the first person to apologize」と子供に教え、父も実行する人でした。


―ウラガミさんや他のご家族は、戦争が始まったことに対して、どんな反応がありましたか?

ウラガミさんが作った木のパネル。設営に使われる展示物を置く台などを作る仕事を、ボランティアで行っている。“サムズアップ”のポーズはウラガミさんのトレードマーク。海軍で飛行機を修理していた時に「異常なし」という意味で使ったジェスチャーが元になっている
兄は戦争が始まる前にパイロットのライセンスを持っていたので、12月8日、空軍に志願しました。「政府も戦争になってお金が必要だろう。私はもうパイロットだから訓練費もかからない。だから入隊します」と言ったそうです。しかし、「きみは日本人だから雇わない」と断られたそうです。
姉は、収容所に送られることに対して「私たちは何も悪いことをしていないのに」と言って、とても動揺していました。政府は私たちを誰も知らない場所へ連れていくと言っていました。
私は電車にも乗ったこともなかったのでワクワクしていました。またどこへ行くか分からないのでブーツを買ってもらい、都会育ちの私には初めてのブーツでした。

両親や他の一世がどんな大変な情況におかれていたかを考えもせず、ただこんな些細なことが、子供の私には楽しかったのです。戦争中、こんなこともありました。収容所で私たちが住んだバラックは、なんと一番上の兄が設計したものだったんです。
兄はUSCの建築科を卒業して建築家でした。アメリカ政府の仕事も請け負っていて、そのなかに、安い材料を使ったバラックの設計をする仕事があったそうです。兄は何に使われるか全く知りませんでしたが、アマチの収容所に着くと、そこには兄が設計したバラックが建てられていたのです。人生って滑稽ですよね。兄も私も、笑ってしまいましたよ。


―そんなことが現実にあるなんて驚きました。ところで、当時の日系人への差別はどうでしたか。

私が生まれる前から家族はクレンショー地域に住んでいました。当時、日系一世はまだアメリカ市民権を得ることも家を買うことも法律で認められていませんでした。そこで、ある白人の教師が「白人が家を買っても誰も何も言わないので、自分の名義で家を買ってもいいですよ」と言ってくれたので両親はそうしました。 一番上の兄が法律上、家を所有できる年齢になるまでその教師は名義を貸してくれました。
近所の人達は別に日系人の私達のことを気にもせず、とても良い環境でした。小さい頃は、隣近所の家に行って、幼なじみとはよく遊びました。戦争が始まり、私たち家族がサンタアニータ競馬場のアッセンブリーセンターへ送られる日、近所の人が、私たちを集合場所まで車で送ってくれました。これは特別なことではありません。白人の人たちが日系人家族を集合場所まで送ってくれた話は、他にもたくさんありますよ。それに、サンタアニータには、兄の白人の友人3人が、兄を訪ねてきたこともありました。

私たち家族はとてもラッキーでしたよ。私の父にはかかりつけの白人の医者がいて、「戦争はずっと続かない。戦争が終わったら、君たちは解放される。そうしたら帰る所が必要だ」と言ったそうです。そこで、家は安いレントで貸し出すことにして、医者には税金を納めるほどのお金を払うことで家の管理を引き受けてもらいました。そして1945年8月15日に終戦すると、彼は直ちに借りている人に引っ越しするようにと言い渡しました。お陰で、私たちは終戦後も戻る家がありました。(vol.35に続く)



写真・文・構成 Tomomi Kanemaru

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入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
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JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2014/05/31 掲載

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