NikkanSAN_TopBanner_2023-05-07

ロサンゼルスの求人、クラシファイド、地元情報など

日刊サンはロサンゼルスの日本語新聞です。 記事は毎日更新、求人、クラシファイドは毎週木曜5時更新。

コラム

苦楽歳時記
vol135 石川啄木

2015-02-19

 本日、二月二十日は、(明治十九年・一八八六)石川啄木の生誕日。

 元来、小説を書きたかった啄木は、「夏目漱石の『虞美人草』なら一ヵ月で書ける」と朋友に豪語し、「歌なんぞは煙草と同じ効果しかない」。「君、僕は現在歌を作っているが、正直に言えば、歌なんか作らなくてもよいような人になりたい」と、同志に書き送っている。

 英雄主義の天才詩人、啄木が上京したのは明治四十一年、二十三歳のときである。この折、啄木は小説家を志望しており、金田一京助に救われて短編小説を次々に書き続けたが、彼に収入をもたらしたのは、『東京毎日新聞』に発表した連載小説『島影』だけであった。

 翌年(明治四十二年)に『邪宗門』を上梓した北原白秋が、詩人としての名声を高めた事実を知った啄木は、小説家になろうとして失敗した挙句に、「自分は詩人として北原との競争に敗れた」と、日記に綴っている。

 精神科医の梶谷哲男は「啄木は見栄っ張りで嘘が多く、被影響性、空想癖のある典型的ヒステリー者」であると分析している。

 同じく精神科医である福島 章は、「独善的、小児的、誇大妄想的ではあるが、生活無能力なヒステリー性格者とは言えない」と反論している。

 石田六郎や宮城音彌にいたっては、啄木を分裂性の性格であると述べているが、いずれも恣意(しい)的な解釈となっている。 

 「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」。若山牧水はこの歌の五句「ぢつと手を見る」には、「電気のような閃きがある」と絶賛した。

 また、当時の啄木はそれほど働いてはいない。生活が困窮したのは啄木に限らず、往時の文士や知識階級に共通のものであった。借金を重ねても文士仲間を誘って啄木は遊蕩に興じていた。   

 漂泊の詩人、石川啄木は肺結核を患い、明治四十五年(一九一二)四月十三日に、二十六歳で夭逝(ようせつ)してしまった。妻と父と牧水に看取られている。

 入相に僕はにわかに口ずさむ、「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる」。(歌集『一握の砂』)より。


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
Facebook   Twieet

新井雅之

文芸誌、新聞、同人雑誌などに、詩、エッセイ、文芸評論、書評を寄稿。末期癌、ストロークの後遺症で闘病生活。総合芸術誌『ARTISTIC』元編集長。




[ 人気の記事 ]

第230回 碧い目が見た雅子妃の嘘と真

第249回 尻軽女はどこの国に多いか

特別インタビュー アシュラムセンター主幹牧師・榎本恵氏 後編

NITTO TIRE 水谷友重社長 ロングインタビュー① アメリカについてよく知ることが大切

第265回 天才と秀才、凡才の違い

第208回 日本と北部中国に多い下戸

第227回 グレンデールに抗議しよう

特別インタビュー アシュラムセンター主幹牧師・榎本恵氏 前編

第173回 あなたの顔の好みは?

NITTO TIRE 水谷友重社長 ロングインタビュー③ アメリカについてよく知ることが大切



最新のクラシファイド 定期購読
JFC International Inc Cosmos Grace 新撰組3月 Parexel pspinc ロサンゼルスのWEB制作(デザイン/開発/SEO)はSOTO-MEDIA 撃退コロナ音頭 サボテンブラザーズ 





ページトップへ