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コラム

編集部
本紙コラムニスト・韓国人牧師 キム・ホンソンさんインタビュー② 「ちいろば先生」の死から37年 − 遂にミッション再開

2014-08-14

 日本人キリスト教牧師・榎本保郎さんが、ロサンゼルスで亡くなって37年。壮絶な生涯は、作家・三浦綾子さんの「ちいろば先生物語」に書かれている。読者のなかには「ちいろば先生」の“志半ばの死”に涙した人も多いのではないだろうか。しかし、あの続きが2014年8月23日、ロサンゼルスで始まろうとしている。「ちいろば先生」が行うはずだった「愛修会(聖書に聴き祈る会)」を、息子の榎本恵牧師が引き継ぎ、再開する。
 イベントに先駆けて、「ロサンゼルス愛修会」実行委員長の本紙コラム「三味一体」でお馴染みの韓国人牧師、キム・ホンソンさんに、「愛修会」とは何か聞いた。


2014年春にロサンゼルスで行われたミニアシュラムの参加者たち


 ―「愛修会(あいしゅうかい)」とはどんな会でしょうか。
 愛修会(原語の名前は「アシュラム」)は、アメリカメソジスト教会の宣教師であった、E・スタンレー・ジョーンズ博士によって始められたキリスト教超教派のリトリートのことです。
 インドで長く宣教師として奉仕されていたジョーンズ博士は、詩人のタゴールや独立運動家のガンジーとも親交があり、彼らが弟子や同志たちを集めてしばしば「アシュラム」を開いて訓練しているのを知りました。そこでジョーンズ博士がこの方法をキリスト教の修養会に取り入れたのが「愛修会」の起源なのだそうです。
 榎本保郎先生は著書のなかで、「聖書は人類に対して送られた神からのメッセージであると同時に私たち一人一人に宛てられた私信でもある」と書いておられます。
 自分宛に送られた手書きの手紙をもらうとどうでしょう?おそらく一字一句隅から隅まで丁寧に読むに違いないでしょう。しかし、聖書というものは“世界のベストセラー”なだけあってか、現実的になかなか自分へのメッセージとして感じることは困難です。
 愛修会は、私たちの多忙な生活から一旦離れて、静かに聖書のことばに耳を傾け祈る集いです。そこで参加者たちは、全人類に対して書かれた手紙が、自分への個人的なメッセージとして心に迫ってくる体験をするわけです。
 ―愛修会では具体的に何をしますか。
 愛修会では、参加者全員が同じ箇所の聖書をインストラクションに従い、一人で静かに時間をかけて読みます。前回、私が参加した愛修会では、それまで何十年も読んでいた同じ箇所が、自分へのメッセージとして示されました。

 「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。(マタイ6章の34節)」

 今までは、眠れないほどの「思い煩い」というのは例えば、「病気になった友人が心配になる 」、とか「不本意にもあの人を傷つけてしまった」などといったような類いのものだと考えていました。しかし、振り返ってみると、自分という人間がそういう立派な悩みで眠れないほど悩むことはまずないということに気づきました。
 例えば、「あのプロジェクトがうまくいかなかったなら、言い出しっぺの自分の責任が問われるかもしれない。ああ、恥をかくのは嫌だ。どうしよう」とか、「来週の土曜日は家で一人で3人の子守りをしなければならない。大変だ。どうしよう」などなど、本当に自分のことばかり、情けない悩みばかりを思い煩っていたという現実に気づかされました。
 しかし神は、そのような私の情けない自己中心な悩みをも否定されることなく、「もう今日は良いよ。明日のことを心配するのはもう十分だから休みなさい」と言ってくださっていると示されたのです。
 どんな悩みであっても、極端な話、明日にも警察に捕まるかも知れない犯罪者の悩みであっても、「今日はもう十分だ」と言ってくださる無条件の愛を持っておられる神がおられる、ということは、どれほど心が慰められることでしょう。
 このように普段からよく分かっていると思っていた御ことばを通して、恵先生の導きによってそこにすでにあった自分への神のメッセージに気づくことができました。実際に心が軽くなり自信が湧いてきました。こういう生き生きとしたパッションのようなものを一人でも多い方々に感じていただけたらと祈っています。


 ―愛修会は、クリスチャンだけのイベントですか。クリスチャンでない人も参加できますか。
 クリスチャンである必要は全くありません。どなたでも参加いただけます。以前に開かれた愛修会に参加した私の友人はクリスチャンではありませんでしたし、普段から聖書も読んではいませんでした。
 その頃、友人は会社での人間関係で悩んでいました。愛修会で聖書の箇所を幾度も幾度も静かに読み、その時にあった苦しみは、己の執着と「こうでなかればならない」という観念が元で作られたのだと気づかされたそうです。友人は苦しみから解放されて、自分が本当に進みたい道が何なのか分かったと、後でシェアしてくれました。
 「クリスチャンでないとついていけない」と思われるかもしれませんが、逆に信仰歴の長い聖書をよく知っているクリスチャンの方が難しい点もたくさんあります。普段からいろいろ読んで聞いて余計な知識があるから、それが固定観念となり、なかなか素直に自分へのメッセージとして聴くことができないこともあると思います。私のケースがまさにそうでした。(笑)
 今回の愛修会に一人でも多くの方々が参加して恵先生を通して神からの自分へのメッセージに触れることができればと願っています。


=Tomomi Kanemaru


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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