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コラム

編集部
本紙コラムニスト・韓国人牧師 キム・ホンソンさんインタビュー① 「ちいろば先生」の死から37年 − 遂にミッション再開

2014-07-14

 途絶えてしまったかに見えた道はその先も続いていた。私たちが再び歩き出すのに37年間の歳月が必要だったのだ―。1977年、「ちいろば先生」という愛称で親しまれたキリスト教の日本人牧師の榎本保郎さんは、ミッション半ばで旅先のロサンゼルスで息を引き取った。そして37年後の今年8月、「ちいろば先生」のミッションだった「愛修会(聖書に聴き祈る会)」が、再びロサンゼルスで始まる。
 「ロサンゼルス愛修会」実行委員長を務めるのが、本紙コラム「三味一体」でお馴染みの韓国人牧師、キム・ホンソンさん。「愛修会」について、「愛修会」講師(奉仕者)の「ちいろば先生」子息・榎本恵牧師とキムさんの交友についてインタビューした。

父親が降ろした荷を共に背負う

 ―恵さんが父親「ちいろば先生」のミッションを継承することになった経緯は、以前、本紙で取り上げました。今回は、韓国人牧師のキムさんが「ロサンゼルス愛修会」実行委員長に就任した“いきさつ”を聞かせてください。

 作家の三浦綾子さんが書かれた『ちいろば先生物語』で知られる榎本保郎先生は、37年前、台湾とブラジルに続き、こちらロサンゼルスにもこの愛修会を伝えようとしていました。「愛修会」とは聖書を通して、そこから自分へのメッセージを聴き取り、生活に取り入れていく素晴らしさを紹介するリトリートのことです。
 「ちいろば牧師」は、当時ご病気であったにもかかわらず、生命の危険を顧みず、長旅に出ました。そしてアメリカ到着直前、飛行機のなかで意識を失い、サンタモニカの病院に運ばれました。救急治療を受けましたが、使命遂行半ばで殉職を遂げました。
 保郎先生の愛称「ちいろば」は、イェスがイスラエル入城の時に選んでお乗りになった名のない一頭の“子ろば”のことです。武装をした勇ましい兵士ではなく、平和の君、イェスキリストをお乗せするからこそ、この「ちいろば」でなくてはいけなかったのです。「ちいろば」はイェスをお乗せして指し示すところに向かって進むことを何よりも喜びにした保郎先生の生き方をよく象徴するネーミングです。
 去年、容赦なく照りつける太陽の下、「ちいろば牧師」が息を引き取られたロサンゼルスの病院の前に、保郎先生の息子さん、榎本恵先生と私は立っていました。その時、恵先生は1977年に父親の背中から一旦降ろされた“その荷”を、今度は自分が背負うことを決断されたのだと思います。
 その後に恵先生から「キム君、一緒にやってくれる?」と聞かれ、私は「まず日程から決めていきましょう」と答えました。私は少しでもそのお手伝いができればと祈る一人として、実行委員長を引き受けました。
 保郎先生がロサンゼルスで亡くなられて37年が経ち、中断されていた「ちいろば牧師」のミッション、愛修会が、Japanese Evangelical Missionary Societyの主催で、今年8月23日にいよいよ再び始まることになりました。

 ―キムさんと恵さんは約30年間も親交があるそうですね。恵さんとは、どんな出会いだったのでしょうか。

 私の父は韓国から日本へやってきた宣教師で、私は中学生の時から親元を離れて滋賀県の近江兄弟社というミッションスクールの寮で暮らしていました。
 高校生のある日曜日、教会の礼拝から寮に戻ろうとしたら、教会の庭先で一人のおじさんが膝をついて、5歳くらいの子供と真剣に議論していました。この“おじさん”こそ恵先生でした。恵先生たちが何を話していたかは分かりませんが、恵先生は何事にもまっすぐに関わっていくパッションに溢れていました。
 それ以来、高校が終わると、私は恵先生の住宅兼作業所に入り浸っていました。当時、恵先生は、障害を持つ子供たちのための作業所の所長をしていました。そこは、いつも大勢の若者で賑わっていましたよ。
 私は、ある時、学則違反を承知しながら、放課後にラーメン屋でこっそりアルバイトを始めたことがありました。父が宣教師を務める支援団体が財政難に見舞われて宣教費が途絶えてしまい、私は自分の生活費だけでも何とかしたいと思ったのです。
 けれど、アルバイトが学校にバレて大騒ぎになりました。後日、知ったのですが、この時すぐに恵先生は通っていた教会の役員の方々に会って「今こそ私たちの信仰の証としてキム君をサポートすべきではないだろうか」と一人一人の信仰に迫るような話をしてくださったそうです。こころ動かされた教会の方々は、その後、私がアルバイトをしなくてもよいようにと教会でのちょっとした仕事を用意してくださいました。また「足長おじさん」のような方も現れてくださいました。

アイデンティティを思い起こす存在

 ―恵さんの著書『負けて勝つとは』にキムさんが韓国軍に徴兵された時のことが書かれていますね。

 私は日本の大学を卒業して間もなく、韓国陸軍に徴兵されました。何の予備知識もなく、とにかくされるがまま髪の毛を1センチ以下に切られて、列に並んで入営しました。「遅い」と怒鳴られつつ、家から着てきた服をすべて脱ぎ、渡された黄色い小包袋に入れました。次に渡されたのは一枚の便箋と封筒です。「これから3ヶ月の訓練期間中は外部から完全に隔離されることになる。5分与える。一番書きたい相手に手紙を書け。さあ実施!」と言われ、訓練生たちは、両親宛に手紙を書いていました。
 しかし、私が手紙を書いた相手は恵先生です。その時は無意識でしたが、今考えると、自分という存在が銃や銃弾のような消耗品にすぎず、全くの無力で無意味に感じることを強いられているなか、「自分が誰で、自分が何を一番大事に考え、どのようなことを話し、生きてきたか」というアイデンティティを思い起こしてくれる存在こそ、恵先生だった気がします。手紙に何を書いたか忘れましたが…。(笑) (つづく)

キムさん(中央)は、18歳の夏にバングラディシュでボランティアをした。訪問先の子供たちとの写真

30年前の恵さん(左)家族。夫人の康子さん(右)と長男の空君

「第一回ロサンゼルス愛修会」
日時: 8月23日 8:30am(受付開始)
プログラム: 9am〜5pm
場所: ガーデナ平原バプテスト教会
1630 W. 158th St. Gardena, CA 90247
参加費: 一般 20ドル、学生 15ドル
(昼食代を含む)
*チャイルドケアなし。
愛修会の問い合わせ:LA Aishukai
c/oJEMS
948 E. 2nd St. Los Angeles, CA 90012
電話:213-613-0022(藤本まで)

=Tomomi Kanemaru


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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