マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.77 嘘(2)
2026-11-01
私はこのエピソードを見ていて、いまや世界中で繰り広げられている政治の混乱を想起しました。「保守」の名の下に差別と排外主義がまかり通り、それを批判する「革新」「リベラル」な声が、本来寄り添うべき格差社会の被害者ではなくエリート層と結びついてしまい、解放されるべき人に解放の声が届かない現状。それぞれの「言っていること」と「やっていること」が乖離して、どちらを選ぶこともできないジレンマ。
さて、ボビーとコニーはどうなったでしょう。選抜試合の当日、教師や親、部員たちが見守る中、二人は大げさな演技で一大プロレスショーを繰り広げたのです。コニーがボビーにバックブリーカーを決めれば、ボビーはパイプ椅子攻撃で応戦。コニーはボビーの頭を掴んで膝蹴り。ついにはボビーがポケットからケチャップを取り出し、自分の顔にかけて「やられたー!」と絶叫。最初は呆気にとられていた観客たちも、途中から何が行われているのか理解して歓声を送ります。もっとやれー。場内は大喝采。前日にこっそり打ち合わせをしていたボビーとコニーは、馬鹿げた状況に追い込まれた自分たちの姿をパロディにすることで「勝利」したのでした。
馬鹿げた状況に追い込まれていたのはボビーとコニーだけではありません。二人の両親、学校の教師、レスリング部のメンバー、彼らを取り巻くコミュニティの全てが馬鹿げた状況に巻き込まれていて、馬鹿げたプロレスショーによってそれが明らかになったのです。どちらが勝っても困るというジレンマに陥り、クライマックスで「さて、どうなる?」と誰もが「答え」を見守る。出てきた答えは正解ではなく「嘘」だった。その「嘘」によって、それまで行われていたことの全てが嘘だったことに気づかされたのでした。秘密が隠されている扉を開けてみたら、そこにあったのは鏡だった、というように。
もちろん現実の政治は簡単ではありません。でも、正解のないジレンマに陥った場合、どこかに隠された「真実」を探すよりも、ジレンマ自体の嘘を見抜くべきかもしれません。ボビーとコニーが「嘘」を繰り広げ、その場にいた全ての人が分断を超えて熱狂し、歓声をあげたのは偶然ではないはずです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

哲学者。早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム、ジョン・デューイの哲学。現在は東京にて論文執筆、ウェブ連載、翻訳に従事。ウェブでは広く文化事象について分析を展開。








