キム・ホンソンの三味一体
vol.253 私たちのものではありません。
2026-10-04
イエスは当時の社会において、革命家のような一面があったように思います。今日紹介したいイエスのたとえは、当時の腐敗した権力者(宗教指導者)を痛烈に非難するものです。あるぶどう園の主人が、自分のぶどう園を雇った農夫たちに任せて遠くに出かけていきます。それから長い年月が過ぎたある日、突然、主人が遣わした僕(しもべ)がやって来て、「主人の収穫物を渡しなさい」と言うのです。しかし、なんと農夫たちはこの僕を殺してしまうのです。実は、自分たちだけで長い時間を過ごしながら、いつしかこのぶどう園を自分たちのものだと思い、自分たちの物にしてしまおうと考え始めたからです。その後も主人から送られてくる使いの者を殺していき、終いには主人の息子までも殺してしまうのです。
このたとえで登場するぶどう園の主人は神であり、農夫たちはイスラエルの民を任された宗教指導者たち、そして、主人から送られた僕たちとは、旧約の時代から洗礼者ヨハネに至るまでの預言者たちのことです。そして、最後に主人が送った息子とはイエス自身のことです。イエスは、神に任された民を顧みないで、自分たちの私利私欲だけを追求している宗教指導者たちの目の前で、このたとえを語ったのです。
そういえば、私たちが当然自分のものだと信じているものの中で、実はそうでもないものが多々あるのではないでしょうか。自分の命だって、家族だって、自分の力で手に入れたものではありません。大人になって、頑張って働いて稼いだお金だって、それまでの家族や周りのサポートがあってのものです。実はすべてが神によって与えられたものであって、私たちはただの管理人なのだと信じる時、私たちの人生の荷は軽くなるのではないでしょうか。仕事も家も車も何もかも、もはや人と比べて落ち込んだり、有頂天になったりする必要もありません。与えられた環境の中で最善を尽くすだけで良いのです。良い結果を出さねばというストレスからも自由になることができるのです。
そして、最後に、たとえの中で主人が遣わした使いの者を何度も殺してしまう雇われ農夫に対して、繰り返しチャンスを与え続ける主人の姿に、私たち人類に対する神の忍耐を見るような気がします。人類は、この世界が神から預けられたものであることを忘れて、自分たちが世界の主人になろうとしてきたところが確かにあります。自分の利益だけを考えて乱開発を続けて自然を破壊し、乱獲によって生態系を狂わせ、資源の浪費、環境汚染などにより地球温暖化という結果を引き起こしてしまいました。毎年繰り返し起こる、これまでとは違うレベルの豪雨や山火事、台風やハリケーンなどの自然災害を目の前にして、私たちは、自分たちが世界の主人ではなく、神から預けられたこの世界を管理する者にすぎないことを、改めて問われているのではないでしょうか。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








