キム・ホンソンの三味一体
vol.252 幸せでいられる力
2026-09-20
先日、高校2年生の娘と大学受験についての話をしていて、ふとしたきっかけから人間の知能について議論したことがありました。娘の立場は、地球上の生物の中で文字を使って知識と技術を記録し発展させることのできる人類の知能は他に比べようのないくらい高度なものだ。その証拠に人類が築いた数々の文明とその延長線として現在に至っている社会システムがそうだ、といったものです。それに対して私の立場は、社会インフラなどを体系的に築き上げたことが文明だというならば、人間が文明を築く前に、蟻はすでに高度な文明を築いていたのではないか。分業による協力によって大規模な都市建設から農業や栽培、そして家畜の飼育に至るまで、人類文明の発芽より何千万年も前から文明を築いていた、というものなのです。結局のところ、この議論を通して私たちが分かったことは、「知能・賢さ」をどう捉えるかによって全然違う結論になる、ということでした。自らの知能によって進むべき正しい方向を知りながらも、結局は同じその知能によって間違った選択をし、自らはもちろん地球そのものまでも危機にさらしたならば、人間を決して賢いとはいえない、という私の立場と、それらの地球規模で直面した問題を解決できるのは人間の知能以外にありえない、という娘の立場は平行線を辿るのです。
しかし、思いがけず最後にはなんと我が家の愛犬ボー(Beau)を通して「自分を幸せにできる存在こそ実は最も賢い」ということに同意することができました。ボーは自分がみんなに愛されていることを100%信じて疑いません。自分が住んでいる家の大きさや自分の主人の社会的な地位や自分の犬としての価値などで悩んだり不安になったりすることは一切ありません。ただベッドの毛布の下に潜って遊んだり、小さい体ながらも知らない人が家の前を通ると一生懸命に吠えたりと、自分が好きなこと、自分が正しいと思うことを一生懸命にしながら、愛し愛されつつ幸せに生きているのです。
「人は、日の下で骨折るあらゆる労苦と心の悩みによって、何を得よう。その毎日は苦しみであり、その仕事は怒りだ。(中略)私には分かった。人には、生きている間に喜び楽しむこと、良いことを行うことのほかに、幸せはないのだと。また、人がみな、食べたり飲んだりして、すべての労力の中に幸せを見出すこと、それが神の賜物なのだ。」(コヘレトの言葉2章〜3章)
創造主によって自分が愛されていることを確信して、未来への不安に囚われず、ただ「今、ここに生きていること」を全うし、過不足なく満たされる力。何かを破壊しないで他者や環境とうまく調和しながら自分の存在そのものを肯定し、平穏に生き続けることのできる力。この「幸せでいられる力」こそ、実は最強の知能ではないでしょうか?
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








