マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.75 灰色の鳥(10)
2026-09-06
私たちは「本質」に辿り着こうすれば個別の「特徴」を挙げざるをえず、結局は本質に辿り着けない。そもそも本質とは個別の特徴「ではない」という否定だからです。自分の本質とはこれだ、と思う。でもよく考えるとそれは本質「ではない」ことに気づく。そしてまた本質に辿り着こうとしてあれこれ努力する。「今度こそ、これが本質だ」と思う。でもやはり、本質ではないことに気づく。これを繰り返すことが、逆説的に人間の「本質」ではないでしょうか。
森鴎外の『妄想』の主人公はまさにこれを繰り返した男でした。他人から期待される役割を演じるだけで、本当にやるべきことは他にあるといつも感じていた。自分の本当の人生はこれ「ではない」と思い続ける人生。青い鳥がどこかにいるはずで、目の前にあるものは灰色の鳥でしかなかった。一度たりとも、灰色の鳥を青い鳥と感じることができなかった。注目すべきは、それでも彼が心穏やかに隠遁生活を送っていたことです。常に「~ではない」を繰り返してきた人生なのに、いや、繰り返してきたからこそ、心が安らかになったと言えないでしょうか。
本質が「~ではない」という意味しかないということは、私たちは常に「本質」に辿り着くのを先延ばしにする、ということです。そして先延ばしを繰り返すことで、逆説的に本質的な生き方をする。それが人間ではないでしょうか。2016年12月10日付のガーディアン紙のインタビューで哲学者スラヴォイ・ジジェクは、個人的な恋愛トラブルで数週間ほど自殺願望に駆られたことを語っています。そこで彼は「いま自殺してもいいけれど、私には書き上げなければならないテキストがある。まずはそれを書き終えて、それから自殺しよう」と考えたそうです。それを書き上げたらまた次のテキストが現れ、それを繰り返して現在に至った、と。
成功、名声、カネなど、結局は青い鳥「ではない」と分かる。かといって灰色の鳥を悲観して自殺するのでもない。とりあえず灰色の鳥を捕まえ、いなくなったら次の鳥を捕まえる。「生きる」と「死ぬ」が同義ならば、「とりあえず」と「~ではない」を繰り返して死を先延ばしにするのが私たちの本質だからかもしれません。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

哲学者。早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム、ジョン・デューイの哲学。現在は東京にて論文執筆、ウェブ連載、翻訳に従事。ウェブでは広く文化事象について分析を展開。








