キム・ホンソンの三味一体
vol.248 三位一体
2026-06-07
マタイによる福音書の最後の章には弟子たちが山の上で復活したイエスに会う場面があります。弟子たちはイエスを見るなりひれ伏し礼拝したとあります。礼拝は神を畏れ感謝し讃える行為です。この時、弟子たちは初めてイエスを父なる神と同格に認識し礼拝したのです。しかし、なんと中にはイエスを礼拝しながらも、疑った者もいたと書かれています。イエスはそのような彼らに近づき「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19-20)と彼らに重大なミッションを任せて送り出すのです。実は、イエスは彼らの疑いに気づいていました。十字架刑を前に弟子たちがイエスを裏切って逃げ去ったように、この先も信仰から離れ逃げ出す者が出るだろうことすら知っていたのです。それらのことを知っていながらも弟子たちを遣わす理由がこの言葉にあります。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」イエスが昇天した後、霊としてのキリスト、すなわち聖霊が弟子たちのところに送られ、日々彼らを助け導き力づける。つまり、弟子達がこの重大な任務を果たすことについて、イエス自身が保証人となる、ということなのです。要するに「信じきれなくても良い。逃げ出したい時も、実際に躓く時もあるだろう。でも大丈夫だ。私が共にいてその度あなた方を立直らせ、再び送り出そう」という意味です。この文脈において三つにして一つの三位一体の神、父なる神、子なるキリスト、聖霊がハッキリと顕されているのです。
こうした私の説教を聞いた息子が礼拝の後、「三位一体って分かるようで結局はわからないんだよね。」と言いました。そこで私が、「たとえば太陽は一つだけど、太陽からの光、そしてその光によって発生する熱のように3つでもあると言えるのと同じだよ」と説明しました。しかし、それでも分かりそうで分からないという息子に、こう言いました。「実は、三位一体の原理を完全に理解している人は一人もいないんだ。それは神の神秘の領域で人間の理解を超えているからだよ。でも分からなくても大丈夫。例えば、電子レンジの原理を理解できていないと使う資格がないって訳ないでしょう?パパとママがどうして自分を愛しているかの理由を心理学的に解明しないといけないことなんてないでしょう?その理由を知ることよりも、キリストが自分の命を犠牲にしてまで私たちを愛してくださっている事実を受け入れて感謝し喜ぶことが大事だと思う。」
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








