キム・ホンソンの三味一体
vol.247 祈り
2026-05-17
「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」(ヨハネ17:15)
イエスは十字架にかかる前日の決別説教の中で、これから苦難にあう自分のためではなく、自分の弟子たちのために神に祈りました。イエスの昇天後、彼らはユダヤ教から異端宣告を受け迫害にあうことになるのですが、イエスはそのことを予め知っていて彼らが守られるようにと祈ったのでした。自分のことではなく、誰かのために心から願って祈る。そういう祈りこそ本当の祈りではないかと思うのです。
私の母は、聖書の一字一句を文字通りに信じるとても保守的なクリスチャンで、過去に信仰のことで何度もぶつかったりしたことがあります。もちろん保守的な信仰を持つことは悪いことではないのだけれども、母はいつも他の宗教を否定したり、自分の信仰の基準を持って来て人を裁いたりするような独善的なところが、私には耐えられなかったのです。だから、最小限のマナーとしていくつか注意すべき点を話してあげたつもりでしたが、逆に「お前はそれでも牧師か」とまで言われ、それ以来、絶対に母の前で信仰の話はしまい、と心に誓ったのです。
そのような母が脳出血で倒れて、私が一時的に韓国に帰国した2019年の冬のことです。母の部屋にある古い書類などを片付けていて、母の日記帳を見つけたのです。たまたま手にしたのが丁度、私が軍隊に入っていた頃のものでした。(因みに韓国では、全ての男性は義務的に徴兵されることになっています。)毎日その日のことについて一言書かれていて、最後にはその日祈ったことについて書かれてあったのです。毎日私のことが祈りのリストに入っていました。ひょっとして、と思って私の徴兵の3年間を全てチェックしましたが、毎日、一日も欠かさずに軍隊にいる末っ子のために祈ってくれていました。私は、正直、誰かのためにこれだけ祈ったことはありません。軍隊にいた頃、あれこれと小さな事故や怪我などはありましたが、これと言って危険な目にあったことはありませんでした。単純で頑固で独善的な母親の祈りによって、実際に自分は「守られたかも知れない」と思うと、謙虚な気持ちにならざるを得ませんでした。単純で頑固で独善的な母親ではありますが、息子を愛する心と、イエス様はきっと息子を守ってくださる、という信仰は真実なものだったのです。
母の日の朝、意識が戻らず今も病床に臥している母を思いながら母のための祈りを捧げました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








