キム・ホンソンの三味一体
vol.245 トマスの復活物語
2026-04-19
聖書にはイエスが復活した日の夕方の弟子達の様子について書かれています。普通に考えると皆で集まってイエスの復活を盛大にお祝いしていそうな気もするのですが、なぜか彼らは家の戸に鍵をかけて中に潜んでいたというのです。その理由は、自分たちもイエスの共謀者として逮捕されて処刑されることを恐れていたからでした。それだけではありません。彼らには、もう一つの恐れがあったと思います。それは復活したイエスに対する「恐れ」です。彼らは捕えられるイエスを見捨てて逃げてしまったのです。外からは自分たちを捕えようとする人々が、内からはイエスを裏切った後悔が弟子たちを襲います。しかし、復活したイエスは弟子たちの隠れ家を訪れ、彼らを赦し慰め、励ましの声をかけるのです。
ところがトマスだけがそこにいませんでした。彼は、なんと復活したイエスに会ったと喜ぶ仲間に対して「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(ヨハネ20:25)と暴言を吐くのです。他の弟子たちに比べて、トマスが特別疑り深かったからだとは思えません。むしろ他の弟子達よりずっと正義感に燃えて勇敢な人物だったと思われます。ヨハネによる福音書11章で、イエスがラザロをよみがえらせるためにベタニアへ行くことを決めた時、弟子たちはためらっていました。ベタニアはエルサレムのすぐそばにあり、そこにはイエスの命を狙っている宗教指導者たちがいたからです。この時、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言ったのがトマスなのです。
彼は、他の弟子達のように臆病になって家にカギをかけて閉じこもってはいませんでした。結局は他の弟子たち同様、イエスを裏切ってしまった罪意識に苛まれつつも、彼は自分なりに外に出てマリアが証言したイエスのことを追っていたのかも知れません。そのようなトマスだからこそ、イエスを見たと喜ぶ仲間たちを見て、「どうして私がいない時に」と、深い疎外感をおぼえたのだと思います。しかし、そのように意地を張り暴言を吐いたトマスへと、イエスは、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」と招いたのです。傷跡に触れることを許すとは、十字架の耐え難い痛みと苦しみのトラウマがよみがえることも覚悟しているということです。まさにイエスは、心が頑になっているトマス、そのたった一人のために、再び痛みを引き受ける覚悟を示したのです。その時、トマスは、イエスの赦しと愛に人間を超えるもの、神を感じたのではないでしょうか。その思いに心が震えて、「わたしの主、わたしの神よ」、とトマスの信仰告白が溢れ出たのでした。
これがキリストによって恐れ、孤独、自責、負い目、意固地という死からよみがえった一人の男の復活物語です。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








