キム・ホンソンの三味一体
vol.244 もう一つの真理
2026-04-05
先日の日曜日(枝の主日)でもってイースターまでの1週間(受難週)が始まりました。枝の主日にイエスはナツメヤシの枝を振って歓迎する人々に迎えられながらエルサレムに入城します。翌日の月曜日には神殿から商売人を追い出し、火曜日まで神殿に留まります。水曜日にはエルサレムから3キロほど離れたベタニア村で過ごし、木曜日には弟子達と最後の晩餐をもちます。金曜日にはピラトから死刑宣告を受けた後、その日の内に十字架の上で息を引き取ります。受難週と呼ばれるだけあってイエスのこの1週間の歩みの中心は受難と死になります。
ところで総督ピラトがイエスを尋問した時に「お前はユダヤ人の王なのか。」とイエスの正体は何なのかと尋ねる場面があります。その時イエスは「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。」と答えます。するとピラトは「真理とは何か。」と聞くのです。しかし、イエスはその質問に対して何も答えませんでした。
ではその「真理」とは何でしょうか。鶏が鳴く前に3度イエスを否認したペトロで象徴される人間の信仰の弱さでしょうか。ただ自分たちの権力を守るためにイエスを殺す計画を立てたユダヤ人たちで表される人間の邪悪な性でしょうか。それとも、イエスを無罪だと確信していたにもかかわらず暴動が起きるのを恐れてイエスに死刑宣告を言い渡したピラトの卑怯さでしょうか。確かにこれらすべては人間についての真理です。 しかし、その後、イエスはそれらとは別のもう一つの真理、最も大事な真理について答えています。しかも身をもって答えているのです。それは、神の子でありながら、愛に値しない罪深い人類を救うために十字架の上で自らの命を犠牲にした神の愛、それこそがイエスが身をもって答えたもう一つの「真理」に他なりません。十字架の死から三日目に当たる日曜日に復活を遂げることでイエスは神についての真理、すなわち、神の愛を証明したのです。
自分さえ良ければというセルフ・ファーストが蔓延している世の中において、そして、自分自身もまたその一人に過ぎないという真実に打ちのめされる現実において、イエスが証しする真実を知ることは慰めであり、救いです。イースターは自らの命を犠牲にして人を救う神の愛が証明された日なのです。
Christ The King Lutheran Church of Torrance
2706 W 182nd St Torrance, CA 90504
礼拝:日曜日午前10時 (英語のみでの礼拝ですが、日本語訳の説教をお渡しできます。)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








