キム・ホンソンの三味一体
vol.243. 生きた水
2026-03-15
先週の日曜日(3月8日)は、国連が制定した国際女性デーでした。ジェンダー平等の実現を目指す記念日であり、女性への差別や暴力の問題について考える日です。
イエスの時代、女性への偏見や差別は日常的なもので当然視されていました。そのような男尊女卑の時代にあってイエスと1人の女性との会話に焦点を当てた聖書の箇所があることは驚きです。イエスに「水を一杯飲ませて欲しい」と言われたこの女性は、自分に声をかけたユダヤ人男性の存在に驚きます。炎天下の正午、水を汲みに井戸にやってきたこの女性は、ユダヤ人から蔑まれていたサマリア人であり、かつ女性でした。今でいう複合差別の当事者だったのです。しかし、イエスはその女性が抱えているそれらとは別の苦しみを見抜いて、心の渇きを潤すことのできる「生きた水」について話を始めます。どのような状況でも人を内側から支えるような、希望となるような、人生の根本的な救いをイエスは「生きた水」と表現したのです。しかし、彼女は「生きた水」を一度飲めば喉が渇くことのない魔法の水だと思い、それをくださいと願うのです。ついにイエスは「あなたの夫をここに呼んで来なさい」という言葉でもって、彼女の重荷の核心に触れます。何故かは明らかにされていませんが、彼女は5人の夫と別れ、現在は夫でない者と共に生活しているのだというのです。本当の事情はともかく、その時代において彼女の過去は、人々にとって好き勝手に噂話のできる恰好のネタだったに違いありません。そして、この事実こそ、彼女が社会から身を隠し、村中の人々が水を汲みにくる涼しい朝や夕方を避けて、炎天下の真昼に水を汲みに来た理由でした。イエスはありのままの彼女を受け入れ、それをよしとしました。
イエスに出会う前の女性は、井戸水のようでした。人に見られないように深い井戸の底に隠れたまま、いつ干涸びるかも知れない一日一日を傷ついたまま生きていくしかありませんでした。しかし、イエスに会い、その愛と慈しみに触れた彼女は流れる水となりました。彼女は、水がめを井戸のそばにおいたまま、今まで自分の方から避けていた人々のもとへと流れ出て行き、救い主の訪れを伝える者となっていきました。イエスの愛に触れた者は、今度はその者自身が生きた水となり、他者を潤す者となっていくのです。なんとヨハネが記す福音書において、初めての福音伝道者は、罪人だとされていたサマリア人であり、偏見と差別によって苦しめられていた一人の女性だったのです。
悲しみを抱えた者が同じく悲しみを抱えて嘆く者に寄り添うことができるようにしてくれる力、それがイエスの与える「生きた水」なのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








