キム・ホンソンの三味一体
vol.242 わたしの勝利を分け与えよう
2026-03-01
聖書によるとイエスが本格的に福音宣教をはじめる直前、悪魔によって誘惑を受けたとあります。誘惑と聞いて何を思い起こすでしょうか。一般的な感覚だと違法であれ合法であれ自分の欲求を満たすために間違った選択をするといったことではないでしょうか。例えば、よりたくさんのお金やより強い権力といったような、本当は自分にとってそう大切でないもののために自分の信念や自分にとって大切な人を犠牲にしてしまった時、私たちは誘惑に負けたと言えるのでしょう。聖書の中でイエスを誘惑する悪魔もそのような文脈でイエスを誘惑しました。イエスが最も大事なこととして抱いている神への信頼こそ、実は束縛に過ぎないのだ。その思いから解放されて自分の力で自分の手で自由に欲しいものを掴み取りなさい、といった誘惑でした。しかし、イエスはそれらのすべての誘惑を神への信頼と神のことばに留まることで勝利したのです。
話の流れからすると「だからあなた方もわたしに倣って強くなって誘惑に勝ちなさい」という話になってもおかしくないところですが、実はイエスは、後に弟子たちへと「我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。」と祈りなさい、と教えるのです。どうしてでしょうか?それは、イエスは誰よりも人間の弱さについてよく知っているからです。
多くの人は自分に対してある程度の自信を持って生きています。自分の今までの選択、自分の人格、自分の道徳性などに対して、それなりにある程度の信頼はあるのだ、と自負しているのではないでしょうか。だからこそ誘惑にあったとしても悩み揺れることがあっても、最後はなんとか正しい選択をするだろうと漠然と考えたりするのが普通です。しかし、いざ試練に直面し、断ることのできない圧倒的な誘惑にさらされる時、リスクなどどうでも良く思えるほどの魅力的な囁きを耳にした時、私達は真実を目の当たりにするのではないでしょうか。試されれば脆くも崩れて行き、誘惑される前から自分の方からかかって行く自分。それが弱い私たち人間のありのままの姿なのです。しかし、大切なものを失ってはじめて自分の無力さに痛感し打ちひしがれている人を、責めもせず手を伸ばし立ち上がらせてくれる存在について知ることは慰めです。「弱いありのままのあなたで良いのだ。わたしの勝利を分け与えよう。そのためわたしは先に誘惑にあったのだ。」と語りかけられる声を聞くことは救いです。弱くて無力な私たちのありのままを赦し、何度でも受け入れてくれる存在が常に私たちと共にいる事実こそ福音(良き知らせ)に他なりません。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








