ピアノの道
vol.171 今無性に弾きたい曲
2026-02-15
英語に直訳できない日本語ってありますよね。例えば「もったいない」「切ない」「わびさび」…同じように日本語に直訳できない英単語に「craving」があります。無性な渇望—特に食べ物に関してよく使われる言葉です。そういえば昔、ローマで急におせんべいが食べたくなり探し求めてさまよったことがありました。
この「無性に食べたい」に似た(XXを弾きたい!)に取りつかれるときがあります。たまたま耳にした昔弾いた曲だったり、全く脈絡なく突然頭の中にパッセージが鳴り響いて(え?これ何の曲だった…?)と慌てて楽譜を探して練習を始める時もあります。食べ物のcravingsはちょっと不足気味の栄養源とか、懐かしさとか、ほんわかした痒みの様な感じですが、曲のcravingsはそれよりも唐突で激しい感じ―使命の通達の様な感じさえ、するのです。
ちなみに最近降って来たピアノcravingはリストの『愛の夢』第3番です。バッハやベートーベンやドビュッシーが十八番の硬派ピアニストの私がなぜ…?でも弾かずには居られないのです。ピアノと歌曲と二つのバージョンがあるこの曲の歌詞は「限りある人生―思い切り愛せよ」と言う意味。分断・紛争や、圧政・虐待などの人権問題のニュースに心痛を覚える今日この頃。(短い人生―みんな本当にこんな虐待や紛争に月日を費やして良いの…?)と思うのは私だけではないはず。そんな皆の集合意識が「この曲を弾きたい!」という私の『愛の夢』cravingに至るのではとちょっと思っています。
「フキが食べたい…」終戦直後アメリカに留学しチベット仏教研究家のアメリカ人とご結婚なさった英子さんが突然言われたのは亡くなる一年前。音楽愛好家のご夫婦は、私の音大生時代から演奏会には欠かさずいらして下さり、何年も応援してくださいました。いつも朗らかでハイカラで私との会話も英語だった英子さんが、晩年日本語で何度も「フキが食べたい」とおっしゃったのをこの記事を書きながら思い出しました。そしてチベット人のヘルパーさんが日系スーパーを探し回って食べさせてあげたことも。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

日本生まれ。香港育ち。ピアノで遊び始めたのは2歳半。日本語と広東語と英語のちゃんぽんでしゃべり始めた娘を「音楽は世界の共通語」と母が励まし、3歳でレッスン開始。13歳で渡米しジュリアード音楽院プレカレッジに入学。18歳で国際的な演奏活動を展開。世界の架け橋としての音楽人生が目標。2017年以降米日財団のリーダーシッププログラムのフェロー。脳神経科学者との共同研究で音楽の治癒効果をデータ化。音楽による気候運動を提唱。Stanford大学の国際・異文化教育(SPICE)講師。








