キム・ホンソンの三味一体
vol.240 大事なもの
2026-02-01
イエスが本格的な宣教活動を始める前に行ったのは弟子を集めることでした。マタイによる福音書にはイエスが4人の漁師を弟子として迎える場面が記されています。イエスは漁の最中だった2人の兄弟と、漁に備えて網の手入れをしていた2人の兄弟に声をかけて弟子にしたとあります。興味深いところは、仕事中だったにもかかわらずイエスに声をかけられるとすぐに従って行った点です。自分自身や家族を養うための“仕事”というのは、いつの時代においても大事なものだという認識があります。これは特に日本においてベビーブーマー世代の男性に当てはまることですが、仕事をしていればかなりのことから逃れられるという特典がありました。育児や家事、家の雑用等などもお金を稼いできているのだからと逃れることができたのです。しかし、実際にはうまく逃れたのではなくて、夫としての父親としての大事な経験をしそびれた、と気づくのはずっと後になってからです。やがて定年退職して、仕事から離れた時、自分の存在価値をどうやって確認したら良いか分からずに、何をすれば良いか分からずに、希望を見出せない時だってある、とよく聞くことがあります。
私たちの人生の中には“仕事”のように大事に思えるものがいくつもあると思います。お金、若さ、社会的地位等など、人によっては甲乙を付けられないくらいの大事なものをたくさん抱えて生きています。しかし、それらの大事なものの内、いつまでも続くものは一つもありません。時間と共に全て消え去ってしまうのです。目に見えるものだけではありません。水戸黄門の中の名台詞の「この紋所が目に入らぬか」のような非の打ち所のない大義名分も、絶対に裏切らないと信じていた相手も、その相手への自分の信頼もいつまでも変わらないことは決してないのです。
イエスの漁師たちへと掛けられた言葉「わたしについて来なさい」は、私たちが大事だと思ってしがみ付いているすべてのもの、自分が所有していると思っているけれども実は逆に自分が束縛されているすべてのものからの解放を意味します。
大事なものたくさん持っていればいるほど自分の価値を証明することができると信じている私たちに対して、イエスは「わたしについて来なさい」という言葉でもってもう一つの真実を教えます。それは何一つ持たないありのままのあなたのために、神はその命を犠牲にしたという真実です。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、CTK (Christ the King Lutheran Church)で牧会中。








