キム・ホンソンの三味一体
vol.237 揺るぎない岩
2025-11-16
先日、ある出版記念イベントに行ってきました。本の著者は、韓国の代表的な公共放送局KBSの初代アナウンサーを務めた方です。アメリカへの移住後も韓国系のメディアを通してクラシック音楽番組のパーソナリティをはじめ、講演や執筆活動を続けて来られましたが、97歳になった今年、またも新しい本を出版されるに至ったのです。その出版記念会の中での彼のスピーチがとても心に響きました。
おそらくLAのコリアタウンがまだそう大きくなかった頃、ラジオパーソナリティだった彼は古い小さな劇場を借りてクラシックのコンサートを開いたそうです。その日は朝から雨が降っていて、コンサートが始まってからはさらに雨が激しくなり、コンサートの後半に差し掛かっては、なんと雨漏りが始まりました。けれどもミュージシャンたちの演奏は途切れることなく続きます。溢れ出る音楽の流れに伴って雨漏りの範囲と量も増え、ついに観客席は広げられた傘でいっぱいになりました。そして、知らない者同士が傘をシェアしたり、雨漏りがない席の人が自分の傘を人に貸すなどしながら、人々は音楽に聞き入っていたのです。奏でられる旋律と傘に落ちる雨の音、そして音楽を聞き漏らすまいと耳を澄ます人々の息づかいだけが漂うその空間と時間は、著者にとってとても特別なものだったそうです。そして、彼の出版記念会に来てくれた人々との出会いにおいても同じ特別なものを感じる、と彼は言いました。
聖書の中には“召命”(Calling)という概念があります。これはすべての人には神によって与えられた使命があって、人はそれが何かを知ることで自分の存在の意味と理由を知ることができるということです。著者は1世紀もの人生の間、マイクを通して、執筆を通して、彼の人生と重なった人々へと呼びかける召命が与えられていたのではないかと思うのです。“これは大事なことです。これこそ美しい旋律です。私たちはこうあるべきです。”、とペトロ(岩)という彼の洗礼名のように自らが礎石となって、雨漏りの劇場のような不確かな人生での中にあっても揺るぎない頼れる価値を伝え続けているのだと思いました。
ともすれば自分の未熟さゆえに自信をなくしそうな召命者の私にとって、彼はロールモデルであり、たどり着きたい目標であり、岩のような揺るぎない礎です。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、聖霊の実ルーテル教会 (Torrance) と復活ルーテル教会日本語ミニストリー(OC, Huntington Beach)を兼牧中。








