キム・ホンソンの三味一体
vol.235 いのちのあるもの
2025-10-19
このコラムがきっかけで教会に来てくれるようになった方がいます。先日の礼拝の後に、彼女は「今日の先生の説教で思い出したのです」、と半世紀以上も前の思い出をシェアしてくださいました。彼女がまだ幼少の頃、住んでいた街の近くには川があったのですが、ご両親や近所の大人の方々から「あの橋を渡って向こうに行ってはならない」といつも言われていたそうです。彼女は「一体に何で行っちゃいけないのだろう?あっちに何があるのだろう?」、といつも気になっていました。そして、ある日ご両親が出かけていない間に、彼女はとうとう好奇心に駆られてその橋を渡ってしまうのです。
その川の向こう側で彼女が見たのは、壊れかけた家が立ち並ぶ小さな村でした。その辺で遊んでいる子供達は、穴の空いたままの服を着ていたり、靴を履いていない子もいたそうです。もう少し進むと芝生の広場のようなところが出てきて、子供達が列を成して座っているのが見えました。そして、その子供達の前には1人の白人の女性と2人の大学生に見えるお兄さんとお姉さんがいて、紙芝居をしていたそうです。「その時の紙芝居が、今日の先生の説教に出てきた『徴税人ザアカイ』でした。私が生まれて初めて聞いた聖書の話だったのです。」と彼女は言いました。彼女は、その次の日も、また次の日も、その橋を渡ってその紙芝居を見に行ったのですが、2度とその芝生の教会学校を見つけることはありませんでした。しかし、その紙芝居の中で宣教師先生が「イエス様はどんな子供でも愛してくださって、その子がどこにいてもお祈りをすれば何でも聞いてくださる。」と言ったのをおぼえていて、それからは悩みや心配事がある時、よく1人で祈っていたということでした。
100年ほど前の出来事ですが、ハワード・カーターという考古学者がツタンカーメン王の墓を発見したという当時の大きなニュースがありました。ところで彼がその墓を発掘した際、副葬品の中からある種子を見つけたのです。その種を持ち帰ったカーターがそれを土に植えてみたところ、なんとそこからエンドウ豆の芽が出たそうです。それが現在にも栽培されている「ツタンカーメンエンドウ」として知られる豆です。3000年以上もの間、その種は命を宿していたのです。
半世紀前に1人の少女に一粒のことばの種が蒔かれました。そして、その種から信仰の芽が出て今もなお彼女を支え導いているのです。聖書は2000年も前に書かれたものですが、そのことばの中には今もなお「いのち」があります。いのちのあるものからは、必ずいのちが発芽するのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、聖霊の実ルーテル教会 (Torrance) と復活ルーテル教会日本語ミニストリー(OC, Huntington Beach)を兼牧中。








