マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.64 未だ来たらず(7)
2025-10-05
たった一人の「このわたし」とは、「このわたし」が持つ特徴の集合体なのでしょうか。「山田太郎」さんについて「猫山犬美さんと結婚し、三重県松坂市でラザニア専門店を経営し、身長が178センチで童顔で揚げ出し豆腐が大好物」と特徴をリストアップできます。では、この特徴リストはこの山田太郎さんの本質、「この山田太郎とは?」への答えになりえるでしょうか?つまり「山田太郎さんは唯一無二の存在である。だから、これこれの特徴が挙げられる」が正しいとき、「山田太郎さんにはこれこれの特徴が挙げられる。だから、山田太郎さんは唯一無二の存在である」は正しいでしょうか?
「三角形」という名詞と比べてみましょう。「三角形」の特徴リストはどのようなものでしょうか。三角形を「3つの直線と3つの角からなる多角形」と定義できるなら、特徴リストは(A)3つの直線(B)3つの角(C)多角形、となります。この場合、「三角形だからA、B、Cの特徴がある」のと同時に「A、B、Cの特徴があるから三角形である」と言えます。特徴リスト自体が三角形の本質であり、「三角形」の意味イコール特徴リストとなるからです。
固有名詞は違います。「夏目漱石」で考えてみましょう。私たちは「もしも夏目漱石がトランスジェンダー男性だったら――」と仮定することができます。事実はどうであれ、「夏目漱石」の特徴リストに「トランスジェンダー男性」を加えても、言葉の意味の上で矛盾は生じません。「三角形」はどうか。「もしも三角形が四角だったら――」と仮定してみます。「三角形」の意味は特徴リストとイコールなので、「三角形」に「3つの直線と3つの角からなる多角形」を代入できるはずです。すると「もしも3つの直線と3つの角からなる多角形が四角だったら――」となってしまい、事実を確かめる以前に言葉の上で矛盾が生じます。「夏目漱石」の特徴に「トランスジェンダー男性」を入れても、意味の上で矛盾は生じません。つまり固有名詞とは、それまで想定されなかった特徴を後から加える可能性に常に開かれているのです。人が「固有」名詞を持つこと、固有の存在であることの本質はここにあります。(続く)
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

