キム・ホンソンの三味一体
vol.231 生きることは何かを失うこと
2025-08-17
あるお金持ちの畑が大豊作となり、その収穫物をしまうことにすら困ってしまいました。そこで、その人は、今の倉を壊して、もっと大きな倉を建て、そこに穀物や財産をみなしまおう、と考えたのです。そして、「これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しもう」と浮かれていたところ、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」との神の声があった、というイエスのたとえがあります。(ルカ12:16-20)
この例えのポイントは、お金も家も健康や若さも家族も自分の命すらも本当は自分のものではなく一時的に与えられたものに過ぎないということです。しかし、悲しいことに、私たちはそれらをいつか必ず失うと知っていても、いざそれらを失うと悲しみ落ち込んでしまうのです。失うことへの恐怖、痛み、悲しみから自由になることは難しいのです。
先日、家族がみんな集まっていた時に、教会の納骨堂に入るためにサインアップする計画を話しました。いつか必ず必要になるものなら今から用意しておくのも悪くないし、火葬した私の骨の一部は韓国に、そしてその残りは教会の納骨堂に入れておくと何かと便利だろう、と子供達に説明したのです。すると娘が「そんなこと今考えたくもないし、考える必要もない」と少しイラッとして言いました。
それが何であれ、何かを失うことは嫌なことです。辛いことです。しかし、生きるということは、常に何かを失うということです。何かを失うことによって感じる深い悲しみや痛みのことをグリーフと言いますが、些細なものであれ大きなものであれ、このグリーフを経験することを当然視し、備えておくことは大事なことです。また、現にグリーフを抱えている人にどう寄り添うことができるのかを準備しておくことも大事です。そして、そばに誰もいなくてもグリーフを抱える自分の痛みに寄り添う神の存在を知ることも大事です。この度、私たちの教会で無料セミナーが行われます。どなたでも歓迎します。
無料セミナー「神さまのグリーフケア」
日時:2025年9月6日(土曜日)
2pm–2:45pm講演、3pm–4pmお交わり(お茶とお菓子付き)
場所: 聖霊の実ルーテル教会
2706W 182nd St. Torrance, CA 90504
お問い合わせ:(310)339-9635 / khs1126@gmail.com キムまで
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

