ピアノの道
vol.159 日本とアメリカ
2025-08-17
東京・千葉・長野・京都・大阪での演奏・講演・協議会と12の公開イベントをこなしながら、美容院・母の誕生祝い・人間ドック・父の喜寿祝い・社交などプライベートも盛沢山だった一か月の帰国も残すところあと2日。日本に後ろ髪を引かれながら、アメリカでの日常が待ち遠しい…この複雑な心情は在外人ならでは。
6歳まで香港。13歳で渡米。私が日本に住んだのは小一の二学期から中二の6月までの7年間のみ。その上、東洋人なのに西洋音楽家。自分の悩みの根源が全て「自分は何人?」に行き着いていた成長期もありました。そんな私が気が付けば(世界は一つ!人間みな地球人!)と主張する在米日本人音楽家に成長できたのは、沢山の人々に温かく育んできてもらったからだと思います。
今回の帰国での最終イベントは2001年に日本デビューの独奏会を開いたカスヤの森現代美術館でのピアノトーク。社会を全ての住民の共同芸術作品に例えた「社会彫刻」と称したヨーゼフ・ボイスのコレクションが凄いこだわりの空間です。展示物の作品の一つに、様々な色のペンキが塗りたくられ、弦が切れてピアノの中から飛び出しているピアノがあります。ナム・ジュン・パイクが1986年国際平和展にちなんで開催された神奈川「芸術-平和への対話」のオープニングで制作した作品。沢山の職人が精魂込めて12,000のパーツを組み合わせて作られるピアノも壊すのは一瞬。東北大震災後、慰問で訪れた際に目にした何台もの壊れた楽器や、動画や写真で目にした世界各地の戦地の楽器たちを思いながら、2001年に私が弾いたのと同じ楽器で今年もまた演奏できる奇跡に感謝し、平和への決意を新たにしました。
今回は大阪万博のクラゲ館とアメリカ館でも演奏しました。158国が「命輝く未来社会のデザイン」のテーマのもと色々な趣向で来場者にアピールしていました。万博の国際協力も音楽会の皆の笑顔も未来に繋げたい…そう切に願います。
こちらで日本からの写真をご覧いただけます。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

日本生まれ。香港育ち。ピアノで遊び始めたのは2歳半。日本語と広東語と英語のちゃんぽんでしゃべり始めた娘を「音楽は世界の共通語」と母が励まし、3歳でレッスン開始。13歳で渡米しジュリアード音楽院プレカレッジに入学。18歳で国際的な演奏活動を展開。世界の架け橋としての音楽人生が目標。2017年以降米日財団のリーダーシッププログラムのフェロー。脳神経科学者との共同研究で音楽の治癒効果をデータ化。音楽による気候運動を提唱。Stanford大学の国際・異文化教育(SPICE)講師。








