キム・ホンソンの三味一体
vol.229 祈りはすべて叶えられた
2025-07-25
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。10だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(ルカ11:9–10)
これはイエスが弟子たちに「主の祈り」と呼ばれる祈りを教えた後に、その祈りを執拗に祈って神に求めなさい、そうすれば全てが叶えられる、と弟子たちを励ます中で語られた言葉です。
クリスチャンでない人でも知ってそうな有名な聖句ですが、読めば読むほど納得がいかないというか非現実的に聞こえるところが確かにあります。「いくら祈り求めたとしてもすべて叶えられる保証はどこにもないし、いくら探しても見つからないものは見つからないではないか。もし誰でも求めるだけで与えられるのであれば、世の中には億万長者でない者などいないはずだ。」というのが私たちの常識です。
ところで J・ロジャー・ルーシーという一人の神父が書いた非常に興味深い祈りがあります。
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良きことをするようにと病気を賜った。
幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
得意にならないようにと失敗を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞きとどけられた。
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。
私はもっとも豊かに祝福されたのだ。
神様を信じて休まず教会に通って一生懸命に祈れば、必ずこの世的な祝福が与えられる、との信仰をセールスポイントにしている教派が多数ある中、この祈りから滲み出る信仰は美しく、真実の深みがあります。ともすれば貪欲になって必要以上のものを求めてしまう私たちですが、本当の豊かさは私たちが求めているものとは別のものなのかも知れないと思うのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

