マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.61 未だ来たらず(4)
2025-07-03
イニョン(因縁)は、現世の人間関係が前世の人間関係の結果であるという思想を表す言葉として使われていました。今ここで僕と君が出会うのは前世からの因縁だった、といえばロマンチックかもしれません。実際、ノラがアーサーにイニョンについて説明する場面では「韓国では口説き文句として使われるのよ」と補足されています。つまり、運命論です。ノラとヘソンがイニョンでつながっているならば、2人は最終的に結ばれる運命にある。つながっていなければ、そのイニョンは無かったことになり、ノラは夫のアーサーとイニョンでつながっていた、となります。
でもこの運命論は論理的に破綻しているように見えます。イニョンが本当にあったのかどうかは、常に現在から遡って判断されるからです。「明日は雨になるだろう」と言った人が、翌日が晴れになったという事実を突きつけられても、「いや、雨になると言ったけど、心の中では晴れると思っていたんだ」と言うようなものです。それだったら何でも言えてしまうし、何も言ったことになりません。目を閉じてボールを投げて、落ちた地点を見て「あのボールはあそこに落ちる運命だったのだ」というようなもので、その「運命」は「神の意志」と置き換えることもできるし、「天使の導き」「サタンの魔法」「ピロピロ星人の超能力」とも置き換えられます。
では、イニョンはデタラメなのでしょうか。そうではありません。これこそがイニョンの本質なのです。今ここに現れている人間関係は、過去からの運命によるものである。現在は過去とつながっている。でも、そのつながりの「意味」は常に今ここで決定される。現在において再解釈され、上書き保存される運命にある。映画の最後で、ヘソンは「もしも今が前世でもあって、僕たちはすでに来世でお互いに別人だったら?僕たちはどうなっているかな?」と聞きます。ノラは「わからない」と答え、ヘソンは「僕も」と言い、2人は別れ、映画は終わります。パストライブス(前世)と現世をつなぐイニョンとは、その意味が常に再解釈されるつながりであることが示されます。それは常に新たな解釈の可能性、つまり「未来」を含んでいるのです。(続く)
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

