〇〇良い人悪い人
vol.4 マッチのすり方良い人悪い人
2025-06-20
生活からマッチが消えて随分経つ。昔はどの呑み屋に行っても箱入りマッチがあった。今回はアンデルセン童話「マッチ売りの少女」から人生のヒントをもらおう。
貧困のどん底、少女は売り物のマッチをすり続け、擦り尽くしたその晩亡くなる。マッチをする度に幸せな幻景が目の前に現われる。暖炉の火、暖かいご馳走、温かい家族。幻景と判っても擦り続け、束の間の充足感を味わう。 少女のマッチの擦り方は、浪費し続ける人に似ているようだ。「売り物のマッチ(当時は高級品)を擦る」=「前から欲しかった!」「自分へのご褒美」と言い訳しながら買い続ける。無駄に見える「浪費」も、それはそれで幸福感を得る、意味のある方法だと私は思う。「マッチ売りの少女」如く、束の間の充足感が必要な場合もある。少女は幻想の中で心満たされ、迎えに来てくれたお婆さんと幸福感を抱いたまま旅立った。この話は、悲劇的な御伽話ではないかもしれない。
人生において何らかの不安は常にある。過去の後悔や現在そして将来の心配が、ぬぐってもぬぐっても頭をもたげる。だから「浪費」はその不安を解消できるツールのひとつ。「マッチ」が「お金」に替わっただけのこと。そして「マッチ」が「男性」である女性もいる。様々な男性とのデート。贅沢な料理と酒、笑いと会話そして人肌は、束の間の寂しさと不安を埋め、ほんの少しの夢や希望も。幸福の観点とツールが違うだけ。
マッチ売りの少女が生き延びて、売り物を浪費し続けていたのは愚かな行為
だったと後で思っても、その時は正解だったかもしれない。幸福感は人それ
ぞれ、ケースバイケース。
そう、私の好きなマリリン・モンローもマッチを擦り続けた女性のひとり。残念ながら、マッチ擦りの途中で逝ってしまった。「ブレンウッドから早く離れて!そしたら、本物のパートナーが幸せ持って現われるから。」って言ってあげたかったけど。あの頃、私は新潟の幼稚園児。
※今秋、上梓予定「そんなに早くいかなくても、、、マリリン」

※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

