キム・ホンソンの三味一体
vol.219 悩みを喜びに変えた奇跡
2025-01-19
イエスの数々の奇跡の中で一番初めのものは、ガリラヤのカナで行われた婚礼の祝宴で水をワインに変えたことです。当時祝宴でワインが切れてしまうということは、今の私たちが考えているよりも深刻な事態でした。ワインが意味しているのは、人生における実り、喜び、幸福、祝福といったものです。それが祝宴の最中に切れてしまうということは、お祝いがお祝いでなくなってしまって、花婿と花嫁のこれからにも何か不吉な影がさす、といった風にとられてしまうようなことだったのかも知れません。たまたまその祝宴に招待されていたイエスは、その祝宴が台無しになることを放っておかずに水をワインに変える奇跡を行ったのです。確かにワインが切れるということは生きるか死ぬかの問題ではありません。しかし、結婚という晴れの場で花婿と花嫁にとってそれがどれほど心を痛めることであるかをイエスは共感したのです。キリスト教、クリスチャンと聞くとなんだか堅苦しくて融通が利かないイメージがあるのですが、実際、イエスは安息日に掟を破ってまで病人を癒したこともありました。王や権力者からすれば些細で取るに足りないことであっても当事者にとってはどんなに大きなことであるかをイエスはよく知っていたのです。
禁酒、禁煙など禁欲的な面を強調する一部のクリスチャングループもありますが、実は、聖書の神は人々を祝福し日々の生活の中で喜びと生き甲斐を与える神なのです。イエスが祈りの模範として弟子達に直接教えて今もなお祈られている「主の祈り」の中に、「我らの日ごとの糧を今日も与えたまえ」というくだりがありますが、実はここでいう「日ごとの糧」とは生きるために必要な最小限の食料のことだけを指しているのではありません。宗教改革者マルティン・ルターは、この「日々の糧(デイリーブレッド)」には、生きる上での喜びも含まれていると解釈しています。要するに、神よ、良い伴侶と家族、子供達の笑顔、良き友、最高のステーキ、美味しいワイン等々、私達に与えてくださったこれらの喜びを今日もまた引き続きお与えください、と祈るようにイエスは教えているのです。神は、罪の赦しと救いだけを与える神ではなく、なんと私達の人生における些細な喜びをもさえ与え祝福する神なのです。
教会は神を礼拝する場所ですが、同時に些細な悩みを持った人々が互いに寄り添い、交わりを通して友情と喜びを得る場所でもあります。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

