マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.52 演じる(1)
2024-10-04
今年は女優・高峰秀子の生誕100年にあたり、出演作品の記念上映会や展示会、各種イベントなどが日本各地で開かれています。彼女は木下惠介の『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』『永遠の人』、成瀬巳喜男の『稲妻』『浮雲』『女が階段を上る時』『乱れる』、夫である松山善三の『名もなく貧しく美しく』『山河あり』など日本映画史に残る数々の名作を含め、生涯で300本以上の映画に出演した大女優、そして引退後は25作もの著作を残したエッセイストでした。
銀幕の大スターとしての煌びやかな姿とは裏腹に、実生活では長年にわたり家族との複雑な関係や軋轢に悩み、子役時代から自分の出演料で家計を支えるだけでなく、親族まで養わなければならない境遇にあったことなどが自伝的エッセイ『わたしの渡世日記』に赤裸々に綴られています。実母の死を契機に4歳で叔母の養女となり、5歳で偶然とも呼べる出来事から子役として映画デビュー。天才子役として多くの映画に出演し、10代後半で山本嘉次郎の『馬』に主演した際、製作主任の若き黒澤明と恋仲にあったこと、太平洋戦争末期には空襲警報のサイレンが鳴るたびに撮影が中断され、防空壕に避難しながら映画を作り続けたこと、志賀直哉や谷崎潤一郎など名立たる文豪や芸術家、名優たちとの交友録、映画や演技への思い、そして養母との神経をすり減らすような愛憎入り混じった関係など、率直に、時にユーモラスに語られています。
中でも印象に残ったのは、演じる役柄の幅広さとリアリティで右に出るものはいないほどの演技力を持つ彼女の、演技に対する考え方です。他の優れた俳優の演技を真似るのではなく、一般人のような自然な表情や動きをすることを目指しながらも、単に自然なだけでは美しさや迫力に満ちた演技をすることはできないという信念。最も多く出演したのは木下惠介と成瀬巳喜男の作品ですが、共通して「不自然さ」を嫌った両監督の作品に出る上で心がけたのは、常に「ニュース映画に写る素人の自然さにパン粉をつけてフライにしたり、塩や砂糖や唐がらしをきかせたりして『見せもの』に仕立てた『真実』に近い嘘であった」といいます。(続く)
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

