キム・ホンソンの三味一体
vol.214 もっとも大事なこと
2024-09-13
聖書はイエスを人類にとっての救い主であると同時に急進的な改革者として描写しています。
イエスが当時の権力者集団とも言える宗教指導者たちを辛辣に批判する場面は、新約聖書の至る所で出てきます。ではイエスは何を問題視し彼らに改革を求めたかと言えば、それは当時の形式主義でした。つまり律法を守ることに徹することで罪を犯さずに済む。罪を犯さなないのであれば神によって救われる。彼らはこのように考えて徹頭徹尾律法を守ることだけに専念していたのです。そしてそのように完璧に律法を守ることのできる自分自身を誇っていました。そのような彼らにイエスは、それはまるで違うというのです。例えば、「殺してはならない」という十戒の掟の本質は、殺さなかったらそれで良いということではないのだ。命を守る。命をもたらす。生かすことなのだというのです。道端に怪我を負って倒れている人を見ても、自分がやったわけじゃない。もし死んだとしでも自分が殺したのでないと素通りするのであれば、それこそ罪を犯したのと同じだ、というような批判を繰り返しました。つまり律法のうわべでなくその本質を見抜きなさい、というようなものでした。言い換えると、律法という器には神の御心が入っているのだけれども、神の御心は蔑ろにして器のみを大事にしている愚行を批判したわけです。そして、そのような批判を受けた宗教指導者たちはイエスに殺意を抱くようになり、イエス殺しの計画が実行されていくことになるのです。そのような中、イエスは十字架にかかる前日に弟子たちに最も大事な掟を与えます。それは互いに愛し合いなさい、というものでした。広い意味では隣人愛、人類愛とも言えます。そしてその掟の本質は、神はあなたを愛しておられるというものです。神があなたを愛しているようにあなたも他者を愛しなさいということに他なりません。
生きていく中、最も大事なことが何かを思い起こして、心が安らかになる経験をすることがよくあります。些細な失望や失敗が重なると、ついつい自分のこれからのことや家族のこれからのことなど、次から次へと心配事に悩まされる時があります。そのような時に最も大事なこと、すなわち神は私を愛しておられることを思い起こすことで心が安らかになるのです。神が愛してくださって必要として生かしてくださっているのだから、私も家族の一人一人もきっと大丈夫だ、と思えるのです。足りない弱い自分であっても人のために自分のわずかな何かを犠牲にして人を愛していけそうな自信が与えられるのです。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
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※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。