キム・ホンソンの三味一体
vol.210 聖書と科学の意外な一致
2024-06-14
ほとんどの人は蛇に対して気持ち悪いと嫌悪感をおぼえます。以前に蛇に噛まれたりしたトラウマがあるわけでないにもかかわらず避けようとするのです。ここで気持ち悪いという感情は、実は恐れという感情からきていると言われています。人間の進化過程において、蛇に噛まれると毒のある場合、生死に関わるということを経験し、その経験を深刻に受け止めそのリスクを積極的に警戒した個体は生き延び、警戒しなかった個体は消滅していったと言われています。だから今の私たちが蛇を気持ち悪いから嫌だと感じるのは、遺伝子の中にある先祖の記憶であるわけです。あるYoutubeの映像に、猫にキュウリを見せると異常なくらいビックリして飛び跳ねる動画があります。その猫はキュウリを蛇だと思ってびっくりしている、ということだけれども、面白い事にその猫は生まれて一度も本物の蛇を見たことがない、というのです。要するに、その猫は、自分の先祖の経験が組み込まれた遺伝子によって過剰反応を見せているのだそうです。そして、この過剰反応のことを学術用語では「行動免疫システム」と言います。
ところで驚くことになんと聖書の中にも人間の蛇に対する行動免疫システムについて触れているところがあります。創世記の中に、神がアダムとエバというはじめとなる人間を創造してエデンの園に住まわせた話が書かれています。神は園のどの木の実も食べて良いけれども、善悪の木の実だけは食べてはならないと命じました。しかし、蛇がエバに近づき禁断の実を食べるようにと誘惑し、ついにはエバがそれを食しアダムにも食べさすという大事件が起こるのです。これは堕落物語と呼ばれ、人間が自分を創造した神の保護のもとを離れ未開の野生の中を自分の力で生き抜かなければならなくなった人類の有り様を古代人たちの言葉で説明しているものです。その中で、神はエバを誘惑した蛇とその誘惑に負けたエバにこのように言います。「蛇と女、蛇の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」(創世記3:15)この人間と蛇の間に置かれた「敵意」こそ、科学でいう人間が進化過程において遺伝子として組み込まれた「行動免疫システム」の別の言い方に聞こえます。しかもここでは蛇側の行動免疫システムにも触れているのです。蛇にかかとを噛まれたことのない人でも蛇を恐れ、人に頭を踏まれたことのない蛇でも「こっちに来ると危ないぞ」と言わんばかりにガラガラの音を鳴らし、人を近寄らすまいと警戒するのです。
一見科学とは相反するように思える創世記の物語であっても古代人たちの方法と言葉で普遍的な現象を語っています。そういう意味で聖書と科学は相反するものではなく、相互補完的なものであり、AIが台頭する今のような時代であっても、聖書は依然として私たちに必要な言葉を語りかけてくれるものです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
![Facebook](/lib/img/fb.png)
![Twieet](/lib/img/twitter.png)