マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.45 亀裂(1)
2024-03-01
バス停に並んでいたら後ろの男性2人の会話が聞こえました。「私は昭和15年の生まれでしてね」「そうですか。うちの父もそれくらいでした」「なんかこう、日本はどんどんだらしなくなってきましたな」「そう思いますか」「ええ。昔はもっと頑張っていた。今はみんなだらしないね」
お孫さんがいるような世代の2人。昔ほど「頑張って」いなくて「だらしなくなった」とは具体的に何を指していたのでしょうか。日本人の倫理?コミュニティの充実度?政治?経済?文化?バスを待つまでの他愛のない会話ですし、聞いたところで本人も答えられないくらい漠然とした意味だったのかもしれません。でも、こうした「昔は良くて今はダメ」という物言いに違和感を覚えずにはいられませんでした。
確かに、例えば80年代には「新人類」という言葉も流行り、若者の振る舞いや上の世代への礼儀、言葉遣い、接し方が「ダメ」になったいう言説が増えたこともありました。その後も「ゆとり世代」「さとり世代」「Z世代」といった言葉と共にそうした物言いが繰り返されてきたのも事実。でも、そういう苦言を呈する人たちが若かりし頃、例えば50年代後半には「太陽族」と呼ばれる若者が当時の旧世代から、また違った意味で様々に言われていたこともあります。「昔」は良くて「今」がダメだとして、「昔」とはいつなのか。
「だらしなくなった」のは政治のことだったのでしょうか。日本の昔の政治はだらしなくなかった。本当にそうでしょうか。経済のことだったら?戦後から高度経済成長期、バブル期、バブル崩壊後のいわゆる「失われた30年」まで、いつを「昔」とするのか。そして日経平均株価がバブル期の最高値を超えた現在は本当に「だらしない」のか。文化のことだったら?日本の文化は昔に比べてだらしないのでしょうか。どういう意味で?
「そんな重箱の隅をつつかなくても。ざっくりと言っただけだよ」と思う人もいるでしょう。でも、少し考えてみればほぼ何も意味していないと分かるのに、それでも多くの人が「昔は良くて今はダメ」という言葉を簡単に使いがちで、なおかつ他愛のない会話であれば受け入れてしまいます。何故でしょうか。(続く)
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

