ピアノの道
vol.121 節分
2024-02-02
ロサンゼルスもずいぶんと空気が和らぎ暖かくなりました。
2週間前までは凍えるような鍵盤の冷たさに手のかじかみが中々温まらず朝の練習に苦労していましたが、最近は最小限のウォームアップでもばっちり。そして気分転換に庭に出ると鳥の声が賑やかでうれしくなります。モンキチョウが2匹じゃれつくように目の前を横切る中で日差しが気持ちよく、セーターを脱ぎたくなります。春が来ました。
「おには~そと!」
節分には「季節を分ける」という意味があるそうですね。節目の重要性に思いを馳せるようになったのは年の功なのでしょうか。句読点で文章の意味を変える言葉遊びを「ぎなた読み」というのは「弁慶がなぎなたを持って」というのを「弁慶がな、ぎなたを持って」と読み間違えたのが始まりとされています。文章と同じように、楽譜では休符やレガートなどでフレーズの区切れ目を標識する方法があるにはありますが、メロディーやパッセージのどこまでを一区分とするかは奏者や聴き手の解釈に頼るところが多いです。そしてそういう細かい心配りの積み重ねが全体像を構築していくと気が付けたのは最近です。
お面をかぶった年長者に炒り豆を投げつけながら密かにしらけ始めるは、小学高学年くらいでしょうか。その年齢ではパッセージの区分など気にしなくてもパラパラと楽譜にある音をいつまでも弾き続けられます。でも音の羅列をただ正確に弾きこなすことに疑問を感じる大人になったときに、また区分ということに意義を見出すようになったりもするのです。
震度七の能登半島地震で始まった令和六年。在ロサンゼルス日本国総領事館のHPでも寄付金を受け付けています。みんなで「ふくは~うち!」と唱えながら、復興支援で心を一つにして辰年に相応しく意識も運気も一緒に高めていきましょう!
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。