キム・ホンソンの三味一体
vol.198 心が貧しいと幸いなのはなぜ?
2023-11-03
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)
なぜイエスは「心の貧しい人々は、幸いである」と言われたのでしょうか。イエスが言うところの「本当の意味での幸い」が何かを知るためには、まずその時イエスのもとに集まってこの教えを聞いていた当時の人々について知る必要があります。彼らは、当時の社会からも宗教からも見捨てられていた人々でした。貧しさ故に神殿への捧げ物ができず、罪の赦しのための生贄の動物を買うこともできなかった人々。そして、体に障害を抱えたり、重い病を患っていた人々。これらの人々は、罪人と呼ばれて社会的には疎外され、宗教的には神の救いに値しない存在として見捨てられていた人々なのです。
それに比べて、当時のユダヤの社会において、律法学者や民の長老のような宗教指導者たちは、心の豊かな人々だったのかも知れません。彼らには律法を守り通せるだけの経済力も、知識も十分にありました。そして、そのようにできる自分のことを周りの人々も、そして、神様も認めてくれるに違いない、と信じていたのかも知れません。
しかし、イエスはそんな彼らにではなく、逆に彼らが罪人だと蔑んでいた人々を指して幸いだとし、天の国はその人たちのものである、と言われたのです。「あなたたちは社会からも宗教からも見捨てられ、自分には頼るものが何もないと切実に感じたがために、悲しむ他なかったが故にわたしのところへ来たのではないか。わたしこそ道であり、真理であり、命である。天の国はあなたたちのものなのだ。」とイエスは、宣言しているのです。
現代を生きている私たちにとって心の貧しさを感じるチャンスなどあるのでしょうか。親から言われた通りに勉強を頑張って良い学校に入り、良い会社に就職して、自分と釣り合う相手に出会って結婚して家庭を築き、他のみんなが歩むような人生をただ歩むのです。それこそ安定した豊かな心を保っているのです。しかし、自分の人生はこれで良かったのだろうか、自分はこれで本当に幸せなのだろうか、と時々懐疑的になることがあります。しかし、その度に銀行口座の残高を確認して、乗っている高級車を眺めては、これくらいの生活ができているのだから自分は幸せに違いない、と再び豊かな心を取り戻すのです。実際はいつか死んで塵にかえるだけの結末が待っているだけなのに、豊かな心ゆえに自分にとっての本当の幸せとは何かを突き詰めることができないのです。真実を求めて止まない心の貧しさを持って、死のその向こうにある命を求めることのできるのは幸いだ、というイエスの言葉は希望そのものです。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。