キム・ホンソンの三味一体
vol.197 ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴
2023-10-13
ダビデといえば、ペリシテ最強の戦士ゴリアテを、投石器を使って倒した美しい少年羊飼いであり、やがてはイスラエルの2代目の王になった人物です。しかし、彼が王になるまでの道は決して平坦ではありませんでした。ダビデを脅威に感じていた1代目の王サウルによって命を狙われ常に逃げ回らなければならない状況にあったのです。そのような中、逆にダビデにも追ってくるサウル王の命を奪うことのできる機会がありました。けれども一度主君として仕えたサウルを殺そうとはしなかったのです。
そのようなダビデですが、レブラントの一つの絵画から彼の違う一面を知ることができます。「ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴」という絵の中には、手紙を手にして悩んでいるバテシバの姿があります。ダビデは、自分の部下ウリヤの妻だったバテシバに一目惚れし、ウリヤを戦争の最前線に送って戦死するように罠を仕掛けてバテシバを奪いました。その時、神は、そのようなダビデへと預言者ナタンを遣わし、次のような譬(たと)え話を話させるのです。
二人の男がいて、一人は金持ちで多くの羊や牛を所有していた。もう一人は貧しくて一匹の小羊しか持っていなかった。貧しい男はその小羊を自分の子供のように大事に育てていた。ところが、ある日、金持ちのところに来客があり、男は客をもてなさなければならなくなった。しかし、自分の羊や牛は出し惜しみ、貧しい男の小羊を奪って、客に振る舞った、という話です。その時、ダビデ王はこの譬えの本当の意味を理解せず、その金持ちに怒りを燃やし「そんなやつは死刑だ」とまで言います。まさにその時、ナタンは、「その金持ちとはお前のことだ。神から欠ける事なく与えられていながら、不正を働いてまで欲望を満たすとは何事か。神が与えて下さるものでは足りないと言うのか。そのように神を軽んじる者は厳しい罰を受けてしまえ。」と鉄槌を下します。一気に目を覚ましたダビデは、その場で自分がしたことは大罪であったと認め悔い改めることになります。
美しい少年ダビデ、美しい詩篇の作者ダビデのもう一つの姿は、醜い罪人に他なりませんでした。しかし、これは人間の持つ普遍的な問題ではないでしょうか。人は誰でも程度の差はあろうともそれぞれ罪を抱えて生きています。知りながらも、または知らずの内に犯してしまう罪によって自分自身が蝕まれ苦しみを抱えながら私達は生きているのです。しかし、その罪に気づかせ悔い改める機会を与えてくださる神、そして、その罪を心から悔い改める者を赦してくださる神の存在を知ることは、大きな慰めです。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。