キム・ホンソンの三味一体
vol.192 「気づいた人々」の広がりこそが…
2023-08-04
イエスの説教には天国についてのたとえが多数あります。その中でもとても興味深いのがこれです。「また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ13:45-46)
天国というものが真珠のように美しい場所であるとかではなしに、高価な真珠を手に入れるために持ち物を売り払う商人のようであり、その素晴らしい真珠そのものでもあるのだ、というのです。ここで大事なのは、この真珠の本当の価値を商人の他まだ誰も気づいていないという点です。イエスが自ら進んで十字架のかかったのは人類の罪を贖うためだったと聞いた時、当時のほとんどの人にはそれが戯言にしか聞こえなかったでしょう。しかし、イエスの復活を境にそれが本当だったと気づいた人々が出てきたのです。人々にはガラス玉にしか見えないある真珠。しかし、その真珠の本当のクオリティを見抜いて、全財産を払ってそれを買う商人の心は、興奮と喜びに溢れます。
こうしてイエスこそ救い主だったと見抜いた人々は、迫害を恐れずに命をかけて人々にイエスの教えを知らせていったのです。イエスの十字架は敗北者の最後ではなしに、自己犠牲と赦しを意味しているのだと見抜いた人々は、イエスが教えたように隣人を愛し、イエスに倣って社会の中で隅に追いやられがちな弱い人々の友となっていきました。すると、それらの人々にも変化が生じたのです。私達に生きる目的を与え、それまでの歩みに意味を与え、日々本当の喜びと希望を指し示してくれるのは、お金、名誉、地位等々、人々が憧れの眼差しで眺めているものなどではなく、自分の命を犠牲にしてまで私達には価値があるのだ、ということを教えてくれた救い主イエスだ、ということに気づいていくのです。そのように「気づいた人々」の群れが広がり、それがやがて失意、落胆、絶望を抱え、痛み悲しむ人々のためのサンクチュアリーとなる時、それこそが死後にいく天国とは別のもう一つの天国、あなたがたの間にある天国である、と言っているのです。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

