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コラム

マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.37 見極め (5)

2023-06-30

 カ行変格活用や分詞構文はそれぞれ日本語と英語(やヨーロッパの諸言語)に特有の文法で、それぞれの言語が全く違う仕組みで成り立っていることが理解できます。そもそも仕組みが違うのだから、思考が違う。だから完璧な翻訳は存在しない。つまり言語とは人間をつなぐと同時に隔てる根本原因でもある。文法学習とは「自言語と異なる思考」に自分を開く機会なのです。人は常に異なる思考と共存し、それに自分の思考を開かざるを得ない存在である。これが世界観です。
 
 そう考えると、学校で勉強する各教科はミカンの実のひとつひとつの房のように思えてこないでしょうか。無数の小さな果汁の粒は「因数分解」「二次方程式」などの項目で、それらが集まり「数学」という房ができる。その隣には「英語」「地理」などの房が隣接する。それら全てが集まってミカンの実という「世界観」が出来上がる、と。
 
 でも、この比喩には限界があります。各教科が集まって一つの世界観を形成するならば、なぜ人はここまで大きく異なる世界観を持つのでしょうか。劇的なまでに異なる世界観が数多く存在するのは、単に「各自がきれいな球体のミカンを手に入れていないから」、つまり「各自が学校の勉強をしっかりしなかったから」なのでしょうか。
 
 例えば因数分解から「人間には変化する部分としない部分がある」という世界観、大化の改新から「人間とは歴史的存在である」という世界観、因数分解や分詞構文から「人間は自分とは異なる思考に自分を開く存在だ」と世界観を得る。これらすべてがピッタリと重なり合ってたった一つの世界観を成り立たせているでしょうか?人間には変化しない部分があるならば、その人間を「歴史的存在」と捉えることは矛盾していないか?歴史は変化の連続であり、各時代の「絶対」を覆す出来事の連続でもあるのだから。自分とは異なる思考に自分を開くべきだとしても、変化しない部分を持つ人間にとってそれにどれだけの意味があるのか?
 
 勉強することで世界観が形成されますが、ミカンの実のように完結した世界観が形成されることはありません。同時にリンゴやメロンなど、別の世界観を形成してしまう。どういうことか?(続く)


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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葛生賢治

哲学者。早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム、ジョン・デューイの哲学。現在は東京にて論文執筆、ウェブ連載、翻訳に従事。ウェブでは広く文化事象について分析を展開。




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