キム・ホンソンの三味一体
vol.186 脳性まひを患った8歳の少女の上に現れる神の業
2023-03-17
アメリカでは、1990年にADA (Americans with Disabilities Act /障がいのあるアメリカ人法)という法律が制定され、障がい者が健常者と同じように社会活動に参加できる権利が保障されています。ということは、それまでは障がい者にとって随分と生きにくかった社会だったということになります。2000年前のパレスチナ地域に住む人々は、障がいがあるということは本人か先祖が罪を犯したからだと考えていたようです。聖書の中に、道端で物乞いをしていた生まれつき目の見えない人についてイエスの弟子達がイエスにそのことを確かめるところがあります。するとイエスは、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」、となんとそれまで誰も聞いたことのなかった新しい定義を話しました。そして、イエスによって目が見えるようになったその男は、イエスを陥れたがっていた宗教指導者達に喚問され「イエスは罪ある人間だ。彼がどうやってお前の目を見えるようにしたのか。」と尋問されます。すると全く無学の彼が、律法学者達にこう答えるのです。「神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。 生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」イエスが「神の業がこの人に現れるようになるため」といったのは、目が見えるようになるということではなく、彼が自分の考えと信念を持ち、人としての尊厳を取り戻すという意味だったように思えます。
ADA制定直前の1990年3月には、子どもからお年寄りまで約1000人の障がい者が「今こそADAを!」というかけ声とともに、ホワイトハウスから連邦議会議事堂まで行進し、議事堂前の長い階段を誰の助けも借りることなく登るというデモがありました。その時、デモのために道路が封鎖され交通が麻痺し、通行人をはじめデモ付近のビジネスにも悪影響を及ぼしたとし不平をこぼしていた心無い健常者も多くいたかと思われます。しかし、今となってはあの時代に、障がい者も車椅子のまま電車やバスに乗れる権利を主張してくれたおかげで、自分の考えと信念をまげず人間の尊厳を訴えた人々のおかげで、事故や病、そして加齢によって体の機能を失った健常者にとっても生きやすい社会となったと思います。
1990年3月のあのデモの時、脳性まひを患った8歳の少女が国会議事堂の階段を這って登る姿を撮った一枚の有名なスチール写真があります。絶対にあきらめたくない、と言わんばかりの彼女の目は、学者達の前で雄弁を振う一人の無学の男の姿、神の業が彼の上に現されるその瞬間と重なるところがあります。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
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