キム・ホンソンの三味一体
vol.184 心の貧しい人は、実はこの上なく幸せ
2023-02-17
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。…憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。…平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:3−9)
これは山上の垂訓と呼ばれるイエスの代表的な説教です。しかし、何だかピンと来ないのも確かです。憐れみ深い人や平和を実現する人が幸いなのは、それを行っていること自体が本当の幸を知っているが故である、といったニュアンスが伝わるので何となく分かります。しかし、心の貧しい人や悲しむ人がいずれ幸せになるというのでもなしに、いま現に幸せだと言うのは納得できないところです。しかも、この時使われた「幸い」という言葉が、元々聖書の書かれたギリシャ語の「マカリオス」、すなわち「至福、この上ない幸せ」ですからなおさらです。さらには、この説教の聞き手が、少々悩みはあるものの、生活はそこそこ豊かで、何不自由なかった人々ではなかったのです。それこそ、その当時の最下層の人々で、心が満たされない思いと悲しみを日々抱えながら生きていかざるを得なかった人々だった、と言うのですから驚きです。
ところで、私たちは普段心の貧しさを感じる時などあるのでしょうか。自分の人生を振り返って今の人生でよかったのだろうかと確信が持てなくなったり、次の目標が分からなくなっていたり、老いてゆくなか死を意識して不安になったりすること。これらが心の貧しさといえるものです。しかし、私たちはその度に銀行口座の残高、高級車、ブランド品等などをちらちら見ながら、これくらいの残高、これだけの物を使っているのだから自分は大丈夫だと思います。心の貧しさを掻き消すオプションを多く持っていればいるほど幸せな人だと考えているのです。
しかし、イエスは逆のことを言っています。イエスは人間の心の貧しさを、本当の救いを求めることができるようにと神によって備えられたアラームのようなものとして捉えているのです。イエスは、目の前の心の貧しさを感じずにはいられなかった人々に対して、「心の貧しいあなた達、悲しんでいるあなた達は、実は、この上なく幸いなのだ。その心の貧しさと悲しみ故に、本当の救いを求めて今、私のところに来ているのではないか。神の国はあなた達のものである」と語っているのです。そう言われれば、何だか肩から重荷が降りるような、弱い自分のままでも良さそうな気がして気持ちが楽になります。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
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※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

