受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
あとがき
2023-04-07
私たちに与えられる、もっともありがたいもののひとつとして「ゆるし」があります。そして、私たちが他者に与えるものの中でもっともむずかしいもののひとつとして、「ゆるし」があります。
人を傷つけたり、裏切ってしまったとき、私たちはゆるしてほしいと強く願います。でも逆に、自分を傷つけ、裏切ったものを私たちはなかなかゆるすことができません。
ときとして、ゆるすということは、自分にとってもっとも大切なもの―たとえば、自分の生命を犠牲にすることよりもむずかしいことがあります。
ですから多くの人は、自分を傷つけたものをゆるしたり、憎むことをやめるよりも、それらを抱いたまま一生を過ごしたほうがよっぽどいいと思ってしまうのです。もちろん、こんなことを書いている私も例外ではありません。
でもいつの日からか、心から「ゆるされ」「ゆるす」ことができれば、どれだけ自分自身が平安な心をもつことができ、人生が有意義になるだろうかと、よく考えるようになりました。
英語では「ゆるし」を「forgive」といいます。それはラテン語「perdonum」に語源をもつ言葉で、perは「そのゆえに」、「donum」は「見返りなしに与える」という意味です。これを見ていると「ゆるし」こそ、私たちが他者に与えることができる究極の贈り物なのではと思います。
私自身も、支配欲、憎しみ、貪欲(どんよく)などのように、他者と自分を差別し、分け隔てる気持ちが残念なことに心から消えることはありませんでした。自分はゆるされたいのに他者はゆるしたくないという、どうしようもない不公平な考え方しかできなかったのです。
私がクリスチャンであることは、すでに本書の中でお伝えさせていただきましたが、恥ずかしいことに信仰もまた、自分を他の人々よりすぐれたものだと思いたいという気持ちから発せられ、勉強したり、努力したりしていた時期がありました。しかし、そんな自分が失敗を通してうち砕かれることにより、「そうじゃないんだよ」ということを教えられたのだと思います。
この本に書かせていただいた「与える」ということはとてもむずかしいことです。けれど、いまここに、そのままの自分が存在し、その自分は大きな力にそのまま受け入れられ、与えられ、ゆるされ、愛されているということを知るとき、きっと「与える」ことが可能になると信じています。
「与える」ということはとても力強い行動です。
そこには本当の意味での強さがあり、まわりの人々にも、自分にも有意義な生き方をさせてくれます。そこに、偽りの強さはありません。
与えるチャンスとすばらしさに気づくことができる日々を私にくれた医師という仕事に私はとても感謝しています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

