受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.72 私たちが「永遠」をイメージできる理由3
2023-03-17
宇宙理論はビッグバン以前の宇宙には「何もなかった」と教えています。しかし、読者のみなさんは、この「何もない」という状態をイメージすることができますか?
光も空気もない暗黒の空間がただ果てしなく広がっている―そういわれても、そこには空間があり、暗黒があるじゃないかなどと必ず考えてしまうはずです(実際、空間自体も無ではないことがだんだんわかってきています)。
つまり、人間の想像力は「まったくの無」というものをイメージできないようにできているのです。では、この「何もない状態を思うことができない」一種もどかしさをともなう感覚は、人間の思考力や想像力の限界を示しているのでしょうか。
私には逆のように思えるのです。つまり、人間が何もない状態を考えにくいという事実は、始めには何もなかったのではなく、すべてが「始めからあった」ことを暗示しているのではないでしょうか。
その反対に、私たちは、生命は有限でありながら、「永遠」について想像することができます。見たこともないのに、どうして「永遠」ということを理解することができるのでしょうか。それだけでなく、永遠を求めてもいます。考えてみれば不思議だと思いませんか。
それは、生命には本来「永遠」を知る心が備えられているからだと、私は思うのです。
どんなものにも始まりがあり、終わりがある。私たちは何となくそう思い込んでいます。始点があって終点があり、始点の前には何もなく、終点の後にも何もない。そうした一過性の概念にもとづいて、ふだん私たちは、習慣的に時間を区切ってとらえています。
しかし実は、時の流れには、私たちの考えるような始まりもなければ終わりもない。そしてすべての命に必ず訪れる死も、その流れの一部であるが、時の流れは止まらない。したがって、私たちの想像を超えたところに大いなる永遠の力がある。
どうも、そう考えたほうが、いろいろなことのつじつまが合うのです。ずうっと前から始まりもなくあり、ずうっと後まで終わりもなくある、そんな永遠性が宇宙を貫き、世界に満ちているようなのです。
むろん、人間の命もその永遠性の中にプログラムされています。したがって、私たちの心の中にも永遠を思い、考える力が存在している。だからこそ人間の思考や感覚は、何もない無の状態をイメージしにくいのではないでしょうか。
ともあれ、永遠―それが宇宙が包含している唯一の秩序なのかもしれません。その永遠の秩序の中に生かされ、命の流れによって天とつながっていること。それが私たちにとって意識せざる安らぎや希望の源泉となっていると私には思えてならないのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

