受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.67 すべてを与えてくれる天とのパイプ3
2023-02-10
とても不思議な経験がありました。診察をしたり、顔を合わせなくても病気がわかってしまうことがあるのです。たとえば、知人から息子さんの体調について電話で相談されたとき、直感で自然気胸(肺に穴が開く病気)だと思ったことがあります。それはただ「思った」というものではなく、「絶対そうだ」という確信に近いものでした。
太古の時代は、呪術(じゅじゅつ)師や祈禱(きとう)師といった、目には見えないものを見る力をもつ人々が医師の役割を果たしていたといいますが、現代の医師にもそうした、理屈では説明しがたい直感力が、経験を通じて授けられるのかもしれません。
もちろん、ここでいう直感は、いわゆるヤマカンとは違うものでしょう。それは医学知識や臨床経験の蓄積のうえにはたらく職業的な鋭利な〝ひらめき〟のようなもので、それがとっさに本質を見抜き、自分の技量以上の判断や治療をするのに役立ったと考えられます。
そして、そんな経験を何度かすると、それが生と死が日常化している現場での体験であるだけに、人知では測りきれない天とのつながりのようなものを実感するのです。
すなわち、その直感は自分の中から生まれてきたというよりも、どこか高いところ、川の上流からもたらされたものであり、それが医師である自分を通じて患者さんにも伝わっていく。だから自分は、その直感なり天啓なりを伝える媒体にすぎない……。
これを私は、宗教的な意味やオカルト趣味でいっているのではありません。技量の蓄積が技量を上回るすぐれた直感を生むことは、どの世界でもあることですし、そうした人知を超えるフォース(力)の存在を知ることは、「自力で何でもできる」という人間の過信や驕(おご)りをいましめる役割も果たすはずです。
実際、どんな分野においても専門技量以外のサムシングをもっていないと、いい職業人にはなれません。医師もしかりで、たとえば医療技術以外に患者さんから慕われ、好かれる人間性を備えていなければ、患者さんに本当の安心感や信頼感を与えることはできない。直感もまた、その技量以外のサムシングのひとつであると考えられるのです。
くり返しになりますが、私はそうしたサムシングは天とのつながりからもたらされるものと考えています。私自身の中から生まれてくるものではなく、川の上流から、私の中に自然に流れ込んでくるものです。
だから、そのつながりを十分に意識し、天と結ばれているパイプをこちらからわざわざ切るようなまねをしなければ、おのずと自分のすべきこと、歩くべきふさわしい道が見えてくるはずです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

