受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.66 すべてを与えてくれる天とのパイプ2
2023-02-03
病院は生と死が日常的に交錯している現場であるだけに、その大いなるものとのつながりを感じることも少なくない場所です。
たとえば、医療現場で治療をほどこしているときに医療の知識や技術を上回る〝直感〟のようなものに促されて下した判断が正しいものであった。そういう体験のない医師はむしろ少数派に属するはずです。
私にも何度かそのような経験があります。最初は内科の研修医時代、ある入院患者さんが寝つけないというので、深夜に呼ばれて誘眠剤を処方したときのことです。薬を手渡すまえに一応の問診をし、おなかを触診すると、何か硬く突起したものが指先に触れます。そしてそれが心拍とともに、軽くですが、波打つのです。
最初、「腫瘍(しゅよう)かな?」と思いましたが、どうもがんではないようです。次の瞬間、心臓から体の中心を通るもっとも太い血管である大動脈が、破裂寸前の状態になっている「大動脈解離かもしれない」と、とっさに感じました。臨床の実務にとぼしい医学生で医学的根拠も確かではないのにもかかわらず、おそらく大動脈解離で間違いないだろうと直感できたのです。
それが深夜の二時ごろでした。私は大動脈解離の可能性があるので翌朝、CTスキャンを撮るのが望ましい旨を連絡ノートに記しておきました。翌日、それを見た担当医が半信半疑でCTスキャンを撮影してみたら、案の定、大動脈解離が発見されたのです。
その患者さんは別の病気の手術を受ける予定で入院していました。したがって、もし、大動脈解離の症状に気づかずに手術をしていたら、命にかかわるような、たいへんな事態を招いていたかもしれません。
その直感的判断が、ブラック・ジャックみたいな優秀な医師によってなされたのならわかりますが、私は卒業できたのが不思議なくらいの劣等医学生でした。だから、そのときの私の判断には、何か医学的知識や技量以外のもの、あるいは、それ以上の天啓のようなものがはたらいたと思えます。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

