受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.63 大きな存在とつながる生き方1
2023-01-13
希望は心に根ざすもの。ほかならぬ私たちの心が生み出すものです。しかし、希望で心を満たすためには、ひとつ大きな条件があるように思えます。それは自分という命が、何か大きな存在によって「守られている」、そのことを信じることです。
守られているというと宗教的な響きを感じて、人によっては拒否反応を示されるかもしれません。しかし、あらゆる生命は何かからの加護や支えを得なければ生きられない、弱く頼りない存在なのです。
新しい命が誕生したとき、親は大きな喜びを感じ、かけがえのない愛情を覚えます。しかし、当の赤ちゃんはそんな親の思い、与えられた環境を当然のごとく享受し、何の屈託も心配も感じることなく、すこやかな笑みを浮かべながら日々成長していきます。
それが可能なのは、赤ちゃん自身が明確に意識することはなくても、親が自分に無条件で愛情を注ぎ、無条件で守ってくれているという深い安心感を肌で感じているからです。
子どものときに明日食べる食事の心配をしたり、通っている学校の学費支払いの心配をした経験のある人はまれだと思います。子どものころは自分の手元に一円のお金がなくても、苦しい家計のやりくりに心を曇らせる必要などありませんでした。いうまでもなく、そういう心配は親がみんな代わりにしてくれて、子どもはその親に守られ、まかせていればよかったからです。大人になって、自分が人の親になれば、こんどは自身が心配をする番で、親には子どもを守り、安心感を与える義務と責任が生じます。
しかしこのとき、大人の自分もまた「自分の親」であるような大きな存在の大きな理によって加護されていると信じることができれば、その人の生は安らぎと希望に満ちたものになるはずです。
以前に、何でも自力でなそうとせず、結果は天に「まかせる」生き方が人間を幸福に導くことを述べましたが、そのまかせる生き方を根本的なところで可能にするのが、自分は大きなものに守られているという意識や自覚なのです。
親の庇護(ひご)の下にある子どものように、守られているという確信が心のどこかにあるから安心してまかせることができるのです。親の庇護が信じられないとしても、明日の朝、太陽が東から昇らないのではと心配する方はほとんどいないと思います。
またそのために地球が自転するスピードは、ジャンボジェット機よりも速いのをみなさんご存じでしょう。なんと二四時間で一周してしまうのですから。でも、だから地球から振り落とされてしまうんじゃないかと心配する人もほとんどいません。
それは、私たちが無意識のうちにも―物理的確率とは別に―現実にそういうことは起こらないだろうことを確信しているからです。つまり、どこかで天の原理とか采配(さいはい)を信じて、それに守られていると感じているのです。だから、無意識のうちに自分の運命を天にまかせ、ゆだねて、そのことによって安心を得ているのです。
(次回に続く)
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

